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世界一ポジティブな母の話-2-


他者との比較は何も生まない

誰かが言っていました
「一番手っ取り早く惨めになる方法は、誰かと比べること」
私が育った時代は、ガラケーが誕生、成人になってからスマホが出てきて、SNS時代になりました。
SNSは便利です。
でも、使い方を間違えると「他者との比較」が容易にできますし、「隣の芝生は青く見える」現象が頻発します。

ちょっと考えてみれば、SNSにアップするような内容はポジティブなことが多いのですから、いわば「いいところのみ切り取り」されています。

そう考えれば、私はネットワークが未発達の時代に育ったことは幸運だったのかもしれません。
しかし、私の母SNS時代の「今」子育てをしても、他者との比較はしないだろうと考えます。


母の辞書に「比較」は存在しない


個性的な3兄妹

我が家は母と3兄妹の4人家族です。
上から、長男・長女・次女(私)の兄妹構成です。

長男は内弁慶かつ破天荒という風変わりな性格
長女は保育園~大学まで国公立に行った才女
次女(私)はぼんやりしたマイペース

同じ親から生まれたのが不思議なほど、私たちは性格も容姿も似ていません。姉と出かけるとショップの店員さんから「お友達ですか」と聞かれます。それくらい似てないのでしょう。

考えてみると、それぞれが生まれ持った個性がそのまま育ったということでもあります。
早くから母子家庭になったのですから、思想や趣向が似通っても不思議ではないのに、全くと言っていいほど違います。

中学校で気づいた「比較」

父の死もあって、幼少期は何度か引っ越しをしました。
結果、兄妹で同じ学校を卒業というのは小学校までありませんでした。
初めて一緒になったのは中学校のとき。

姉が卒業した中学校に私が入学したのです。
私があの姉の妹だと知ると、姉を知る先生方は異口同音に
「君のお姉さんはとても優秀だった」
と言われました。

これは、比較というよりも事実を言われていただけですが、私にとって姉と比べられたと感じた初めての場面でした。

姉は3年間学年1位、有名公立高校に塾に通わず入学した秀才として、先生方の記憶に残っていたのでした。
その姉に恥じぬよう、私も勉強を頑張らなきゃ!と思ったものです。

同時期のヴァイオリン発表会で

中学2年生の時の発表会で、同い年のAちゃんもいました。
私はヴァイオリンがただただ楽しくてやっていたのですが、Aちゃんは親御さんの意向でヴァイオリンを始めたようでした。

当時、私はまだ音楽専門の高校に行くという考えはなかったので、稚拙な演奏でしたが、「楽しい」が先行していますので終わった安堵感でいっぱいでしたが、そんな時に楽屋から怒鳴り声が聞こえました。

「同い年のMichikaちゃんのほうが上手かった。なんでもっと練習しなかったの。悔しくないの?」

Aちゃんのお母さんが、演奏後のAちゃんを叱責していたのです。
しかも、比較対象に私を名指ししていたのが、ショッキングでした。

母に「比較」の是非を聞いてみた

発表会事件のあと、母に聞いてみました。

「私を誰かと比べたりしないの?」

母はキョトンとしていました。
純粋に「はい?」という感じで。

「比べてどうするの」

逆に聞き返され、発表会事件のことを話したのでした。
そのあとの母の一言目が痛烈でした(笑)

「ナンセンス!!」

そのあとこう教えてくれました。

「あのね、あなた達兄妹は似てないでしょう?同じ親から生まれていて、遺伝子が似ていても、【違う人間】であるということよ。違うのに比べ、ましてや辛い結果にする意味がわからない」

考えてみれば、兄妹間だけでなく習い事などで、他の子と比べられたことはありませんでした。
というよりも、比べるなんて空気になったこともありません。

母の子育てに「比べる」という手法はありえなかったのです。

教員としての母

幼稚園教諭だった

母は兄が生まれるまで、幼稚園教諭でした。
幼稚園教諭の日々は楽しく「一度も行くのが嫌だと思ったことがない」と、豪語するほど。

こんなエピソードがあります。
私が10才くらいのとき、母が幼稚園教諭をやめて15年くらい経っていたときに、デパートで見知らぬ女性に話しかけられたのです。

「○○(母の旧姓)先生ですよね?」

その女性は、かつて母が教員として担当した子どもの親御さんでした。

「先生のことは今でも息子と話題になるんですよ。全然お変わりないから、すぐにわかりました。お会いできてよかったです」

皆さん、幼稚園や保育園でお世話になった先生のこと、話題になりますか?

子どもにとっては、記憶が朧気になる年代ですから、話題になるなんてあまりないことではないでしょうか。

よほど、母は印象的な先生だったようです。
きっと「こども可愛い!」「幼稚園教諭楽しい!」という気持ち全開で教えていたと思うので、印象に残るのもわかる気がします。

これは、次回のEssayで予定している
「お世辞を言わない」
に通じていく流れです。

ブランクを経て子育て支援員に

縁あって、私が中学生の時、母は近くの保育園で実施されていた「子育て支援」の指導員になりました。
保育園に入れなかった、またはまだ入れる月齢ではない親子が通う、週に2回、3時間ほどのワークショップみたいなものです。
お歌を歌ったり、親子のスキンシップを教えたり・・・かくいう私も何度かヴァイオリンを演奏したことがあります。

この子育て支援で一番大きな業務だったのが
「お母さん達からの相談」
でした。

出産を機に仕事を辞めた方もいましたし、育休中の方もいました。
共通しているのは、社会から断絶しがちな環境におかれている、またはそう感じている方々だったということです。

核家族が当たり前になり、近所との付き合いは希薄になり、些細なことでも一人で抱え込み悩んでしまっている、そういう傾向にあると、母は言っていました。

ヴァイオリンを演奏しに行ったときも、母はたくさんのママ達から相談を受けていました。相談した後のママ達は少しだけ顔がほころび、安どしたような様子だったのを鮮明に覚えています。

「今のお母さん達は真面目よね。小さなことですごく悩んでる。孤立してしまっているから誰かが助け舟を出さないと」

そう語った母を誇らしく感じました。

ネットに正解は載っていない

母が一番懸念しているのは、インターネットしか頼ることができないママ達がいることです。

子どもの体調不良、学校での問題、将来のこと・・・

心配する親心からネット検索し、【比較】して悲観してしまう。

考えてみれば、
体調不良の原因は、医師が診て判断するもの
学校の問題は、誰かと似ていることはあっても「同一」な状況はありえない
将来のことは「今」悩んでも仕方ない、同じ人生の人なんていない

どれも正論で当たり前のことですが、これを実行するにはとても難しい時代になったと感じます。
それでも、(ネットサーフィンやネットショッピングはするけれど)変な情報をネット検索で仕入れようとしない母はすごいなと思います。

私に自閉傾向があると知っても

自閉症ではなく、自閉傾向なので、生きていく上で支障があることはありませんが、私はとても生きづらいと強く感じています。
それは今も同じで、精神科のカウンセリングを受けながら、薬も飲みながら生活しています。
聴覚過敏が一番つらい症状ですが(仕事でのみ役立ちます)、母の言葉で救われました。

「人と違う音が聴こえるのね。しんどいかもしれないけれど、私は素敵だなって思うよ。しんどい時は言ってね。一緒に考えようよ」

聴覚過敏によって生活が苦しくなったので、聴覚過敏=敵だと私は思い詰めていました。
それを母「素敵」だと肯定し、それだけにとどまらず、受け止めてくれました。嬉しくて泣いたのを覚えています。

この話を精神科医にしたところ「素晴らしい」と絶賛されていました。

母の言葉にどれだけ救われたことか。
お母さん、ありがとう。

大人になった3兄妹の現在

認め合える存在

ここでは省略しますが、私たち兄妹は考えの違いから、距離を置いたことがあります。近くにいると喧嘩してしまう、互いの価値観をぶつけ合ってしまう、そんな時があったんです(いつも仲良し~ではない)

それが、色々な出来事と年月を経て、今では互いを認め合い尊敬しあえる存在になりました。

価値観が違うのは素敵
そんな意見もあるんだね
違う視点があるからありがたい

そんな感じで飲みながら盛り上がります。
そして、そんな私たちをみて母いつも幸せそうに笑っていますが、こんな幸せな状態にしてくれたのは、母のお陰だと兄妹全員思っています。

人間はそれぞれ違う個であり、理解できないこともある。
それでも、否定ではなく寄り添うことはできる

そう感じるのは、母が私たちを比べなかったから
常に個として尊重してくれたから
対等に接してくれたから

個性的な人生を送る兄妹

兄は趣味のデパートみたいなひとで、趣味のために働くサラリーマン
姉はバリバリのキャリアウーマン
私はサラリーマンが性に合わず、職業音楽家

趣味に生きる兄、仕事が生きがいの姉、芸術に身を捧げたい私
同じ親を持つ兄妹で全然違う生き方をしてますが、これもお互いに尊敬している要素でもあります。
お互い
「その生き方はできない(良い意味で)。すごいね」
と言い合っています。
特性が違えば、生き方も違ってくるはず。
生きづらい世の中でも、自分らしく生きる道を見つけられたのは、本当に幸運だったと思います。

ちなみに家族繋がりで・・・
本当に夫にも感謝しています(ありがとうね)

比較するのではなく認め合う

母が教えてくれたのは
頭ごなしに否定しない、ということ

違う意見を言われても、想定しないことが起きても、いったん受け止めて、自分なりに咀嚼し、自分なりの答えを見つける。
そして、それは誰かを攻撃したり、誰かと比較する材料にするのではなく、「そういう意見もあるよね」と共感することに使う。

そういう生き方を教えてくれたように思います。


隣の芝生は青くみえるけれど

案外自分の芝生も他人からは青く見えているものです。
私は難病を抱え、自閉傾向によるうつ病も抱えていますが、「楽しそう」「病気には見えない」とよく言われます。
若いころは「人の苦労も知らないで」とムッとしたものですが、今は逆に褒め言葉と受け取っています。
だって、他者から見て「病気に見える」状態なら、入院ですしね(笑)

何色の芝生であっても、自分だけの色
そして、誰かの色を否定することもせず、ただひたすら自分を認めることで誰かに寄り添える存在になりたいと思います。

次回で一区切り

次回は母の特性3つ目
「お世辞を言わない」

次回で母すごエピソードは一区切りです。
が、母のエピソードはどれも凄すぎて、数回では書ききれません(笑)

他の話題も混ぜ込みつつ、コンスタントに母のエピソードを披露したいと思います。

最後に

記事を読んでくださっている方、「スキ」をしてくださっている方、フォローしてくださっている方、本当にありがとうございます。
ひとりでも読んでくださっている方がいる、という事実がこんなにも嬉しいなんて、予想外でした。

この喜びを教えてくれた皆さんに心から感謝申し上げます。

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