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加藤泰三『霧の山陵』

今日のおすすめは、加藤泰三さんの本です。
加藤泰三さんは、1911年生まれ、宮大工の父の影響で木彫を学び、東京美術学校(現在は東京芸術大学)へ。20歳で、デザインや装幀の仕事をし、短歌、詩、画文、随筆などを発表。24歳から美術の教師をはじめながら、『山と高原』『山小屋』といった雑誌に寄稿。1941年30歳のときに朋文堂より『霧の山陵』刊行。1944年33歳で西部ニューギニア・ビアク島にて戦死されています。

存命中にできた本は『霧の山陵』の一冊だけなのですが、その後、彼の作品を愛する人たちの尽力により、『山より帰る』『詩集 仄かなるもの』が刊行されました。

加藤泰三さんを知ったのは、霧ヶ峰にある山小屋クヌルプヒュッテの本棚にある『霧の山陵』からでした。

開いたときの雰囲気、旅先から送ったであろう絵葉書、まっすぐな文章…すぐ魅了されました。

「僕は幾つかの山旅の思い出を持っている。
その思い出のあるものは、春の雨のように優しく、あるものは夏の雨のように爽かだ。
僕は幾つかの草花や、木を持っている。
そのあるものは、時雨のような追憶を伴い、あるものは、氷雨のような現実を認識した苦さの中に植えられた。
心は生活に育てられ、思索し、生活を育てる。この花を見る時、あの山に登った時、僕は如何にあったか。それを僕一人だけ、たった僕一人だけがよく知っている。
ー悲しいかな。
今にして尚、僕は一切の意味の未知に沈んでいる。感傷的な虚妄の孤独にさえも、耐えられないで。」

『霧の山陵』「山と花より」p163より


こちらの本は戦後、朋文堂の初版本に近い形で二見書房より復刊されました。こうして引き継がれ、読み継がれて、彼の孤独や芸術は共有され、わたしのようなところにも届き、あらゆる創作の中に生き続けます。

なにか表現したくなる、作りたくなる、美しい本と出会うのは、なかなか難しいですが、単調な頭の中が賑やかに楽しく変化してしまうくらい面白く、とても幸せなことです。

「拙画拙文がいささかもその美しさを伝へ得なくても、かかる瞬間は山幸でなくて何だらう。」

『山より帰る』p214より


彼がいうように、出来上がった作品が拙くたって、美しいものに出会った経験や時間は、なにものにも変えがたい。

しょうもない写真撮っちゃったって、構わない、わたしはそこにいて、幸せな時間を過ごしたんだから。そして、美しい本と作家に出会い、影響を受け、作っちゃったんだから。

そんなわけで、加藤泰三さんや霧ヶ峰にて影響を受けた作品を披露!
来月11月5日から12日まで、matouさんにて、いわいあや写真展『蒙霧升降』を行います!

長野県の上諏訪にある霧ヶ峰高原にて撮影したもの、霧ヶ峰の霧にちなんで、
七十二候「蒙霧升降」
をテーマに、展示します。

matou(@matou.a.to.k)または
いわいあや(@iwaiayachan)の
Instagramにて詳細をお知らせいたします。

彼より一回りも年上になってしまったわたしは、彼が生きられなかった時間を生きています。
戦争がなかったら、彼はきっと、もっと多くの山に登り、たくさん本を作りあげ、KIMAMA BOOKSに何冊もあった、もしくは加藤泰三コーナーがあったはずです。
そんな姿が見たいから、彼が亡くなったあとも本は出されたのだと思います。本は、生き続けますから。
たとえ本が無くなっても、その言葉はあなたの中で生きてます。
そしてそんなあなたも作品、本を作ってほしい。

(いわい)

#加藤泰三
#霧の山陵
#山より帰る

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