浮気なハニーパイ
この日記を、東出ガールズの残り二人に捧ぐ。
◯
「何をやってるんだ俺は…」
思わずそんな言葉とため息が出てしまうほど、私は肉体的にも精神的にも消耗していた。
あの人は凄く良い顧客担当者だ、と誰もが評するその顧客担当者から私はどうやら完全に嫌われているようで、私の担当する札幌の案件は入札から契約までとにかく混乱を極めた。
契約開始を翌日に控えた5月末、私は業務開始にあたり現地入りすべく、札幌出張の荷物を抱えながら仕事をしていたわけだが、そのタイミングで顧客担当者から「契約は一旦保留してくれ」とストップがかかった。
それはつまりこれまでの苦労も面倒な根回しも下準備も、何もかもが水泡に帰すということであった。
この瞬間私の心は砕け、その精神ダメージは肉体に蓄積され発熱。
今更行かないわけにもいかないので、ひどい体調のまま新横浜から40分空港バスに乗り、羽田から1時間30分をかけて新千歳空港へ向かった。
飛行機は乱気流で大きく揺れ、それがより私をぐったりさせ、札幌に着く頃にはもう22時をまわってしまっていた。
薬局や病院はもちろん開いていないし、せっかくだからと歓楽街へ遊びにいく気力も当然なかった。
数日前、「こういう小説が書きたいな」というアイデアが天啓の如く舞い込んできた。
私は毎年一本、長編小説を書き、賞に応募している。
それはもちろん何かいままでも入賞した経験なんてものは一切ないし、私自身、才能はほぼ平均レベルしかないということは自覚している。
だが書くのは楽しいし、妄想を具現化するのはより楽しい。誰であれそれを読んでもらえるのも素晴らしいことだ。
今年はどうも書けそうにないなと思ったタイミングでアイデアがポッと出た。
札幌出張は多少時間に余裕があったので、その小説をまとめれるだけまとめようと思っていた。
けれどもそんなことできる体調ではない。
コンビニに寄り、ポカリスエット数本とサンドイッチを買い、ホテルにチェックインした後はそれらを食べ、唯一持っていたバッファリンを飲んですぐに布団に入った。
熱が上がっていくのを感じ、寝返りを打つのも辛い。
朦朧とする意識の中で、ホテルのテレビで日本の映画"Winny"を観た。
インターネット黎明期から少し過ぎた頃、Winnyという媒体を使ってあらゆる個人情報や著作物が悪意ある拡散をされ、加えてコンピュータウイルスがさらに事態を悪化させ、大変な騒ぎになったことを、私は子供ながらに覚えていた。
あの時の私にはWinnyはたとえば今でいう漫画村のような、悪のサイトであった。
「誰かがナイフで人を傷つけた場合、そのナイフの製作者も罰せられなくてはならないのか」
悪意なく、自己表現と社会貢献のために開発したWinnyを悪用され、自身も著作権法違反幇助の罪に問われた金子勇氏の戦いを描いた本作。
時に無邪気で、時に能天気でありながら、自身の分野では天才であり、同時に確固たる信念で技術者達の未来を守ろうとする金子氏を東出昌大さんが熱演。
同時に彼に振り回されながらも、無実の証明のために奔走する壇弁護士を三浦貴大さんがこちらも素晴らしく演じている。
確実に育まれていく友情故に、金子氏が守ろうとする技術者の未来と、壇弁護士が守ろうとする金子氏自身の未来がイコールではなく、かたや悩まず進もうとする金子氏、かたや悩み立ち止まろうとする壇弁護士、このコントラストを見事に演じきった両名優はとてつもなくかっこよかった。
「私は、科学技術はすばらしいものだという1970年代に生まれ育ちました。
今でも私は、科学技術はすばらしいものだと信じています。
そしてこれまで私は色々なプログラムを作り、発表してきました。
新しい技術を生み、表に出していくことこそが、私の技術者としての自己表現であり、私なりの社会への貢献よ在り方だと考えていたからです。
10年前にWinnyを作っても検証ができなかったでしょうし、10年後にWinnyを作ってもありふれた技術だとみなされたでしょう。
Winnyの開発は…早すぎたのでしょうか?
それとも遅すぎたのでしょうか?
最近私はそんなことも考えます。
Winnyについて色々と言われていますが、これらの問題は全て技術的に解決可能であり、Winnyは将来的には評価される技術だと信じています。
今日ここに、色々と言われてきたことに対しての対策を施したWinnyを持ってきました。
しかし今の私には、これを公開することすらできません。
私がWinnyの開発中断を余儀なくされてから、すでに2年半以上の時間が経過しました。
その間にも世界中ではさまざまな技術が生まれ、私のほうでも新しいアイデアを思いついています。
ですが今の私は、それを形にすることができません。
私にはそれが、残念でなりません」
その台詞は私に刺さり、そして重く熱された身体を机へと、PCの前へと進ませた。
どんなことに対しても、まだ死ねん。
◯
札幌出張最終日、薬で少し体調が回復した私は、11時最終チェックアウトのところを8時にホテルを出て、新札幌の耳鼻科で休日診療を受け、10時に新札幌を出てすすきのに向かった。
この日は13時から取引先と北広島のエスコンフィールドでプロ野球を観戦する約束をしていたが、このままなんのプライベートもなく北海道を去るのはなんとしても避けたかった。
新札幌と北広島は一駅で10分程度でつく感じだったが、わざわざ反対方面のすすきのに40分かけて行くという行為はあまりにも愚かではある。
しかしすすきのの女性は皆物凄く美人だった。
「北海道はご飯が美味しいし、女性が綺麗だ」と地場の業者が声高に語っていたが、たしかに透明感のある女性達は、東京のそれらとは一線を画している。
予約した人妻系メンズエステのヒトミさんも、40歳でありながらやはりめちゃくちゃに美人だった。
『札幌はよく来るんですか?』と尋ねられ、私はなんとなく「まあわりと頻繁に」と答えた。
『次回来て指名してくれるならもっともっとサービスしますね』と彼女は言うので
「じゃあとりあえず今日フリーで入っちゃったから、指名料分をチップであげるよ」と伝え、4000円を彼女に渡すことにした。
『東京の人はエグい』と彼女はわけのわからないことを呟き、『じゃあ今日早速サービスしてあげる』と耳元で囁いてきた。
けれどもじゃあ実際何を彼女はしてくれるのかというと、鼠径部をひたすらスリスリし、たまに乳首をコリコリするだけであった。
どこが過激サービスなんだよ・・・
どうにか少なくともハンドジョブにまではつなげたい一心で、乳首をコリコリされるたびにやたらと恍惚な表情を浮かべてみせ、
なんとかなし崩し的に次の展開に持ち込もうとしたわけだが、彼女は『え?乳首感じやすいの?』とバカみたいな勘違いをし、結局残りの20分間を乳首をコリコリされて終わるという魂の無明荒野状態に陥ることになってしまった。
『今日とっても幸せだった』と彼女は言い、帰り際に私の頬にキスをしたが、誰が36にもなって熟女のほっぺチューで興奮するというのだろうか。
店を出てすすきの駅へ急ぎ向かおうとすると、持っていた黒のバッグに白いラインが何本か入っていた。
壁か何かにぶつかって汚れがついてしまったのだろうか。
そう考えながらウェイトティッシュで汚れをふくと、それは鳩の糞であった。
やられてる・・・
札幌にやられてるねえ・・・
いやもう北海道が完全に私を追い出そうとしてきている。
乱暴にバッグについた鳩の糞を拭いながら、「二度と来ねえぞ北海道」と私はつぶやいたのだった。
〇
北広島駅からエスコンフィールドまでは徒歩で20分以上の距離を歩まねばならなかった。
多くの人がタクシーやシャトルバスを利用していたが、私はその双方を選ばず、遠方へと続く遊歩道を進むことにした。
共に歩く人達は何人かいたが、その全員が応援用の野球ユニフォームを羽織っている。
スーツでこの炎天下を歩いているのは私だけだった。
マスターキートンか俺は。
だが幸いなことに、遊歩道はしっかりと舗装されており、その風景は緑にあふれており、差し込む光はとても心地の良いものだった。
のどかな、緑の道であった。
そこを抜けるとようやく大きなエスコンフィールドが現れる。
現在ZOZOマリンスタジアムとなった千葉マリンスタジアムまで、幕張本郷の駅から歩いたことがありヘロヘロになったものだが、このエスコンフィールドはどうにもその時とは違う。
はるばる北海道まで来たという非現実が、自分の中でその希少性を高めたのかもしれない。
ゲートをくぐり、スタジアムに入った直後の光景は、筆舌に尽くしがたいものとなった。
圧巻。
今までずっと、まるで時間が止まったかのような緑の光景を歩み続けた先、突然視界いっぱいに広がる賑やかに理路整然と並ぶ人、人。
迎え入れる大型ビジョン。目にする光景に少しだけ遅れて人々の大きな歓声が今度は耳いっぱいに飛び込んでくる。
くっそ。良いじゃねえかよ北海道。
スタジアム内の楽しさについてはぜひ、一度読者諸賢にも足を運んでご経験いただきたい。
『きっとまた、北海道にきたくなるよ』
自信満々に語るすすきののメンエス嬢の顔が思い出される。
帰りの飛行機の中でお笑い芸人吉住の単独ライブをみた。
行きで観たAマッソの単独ライブは何が面白いのかほぼわからなかったが全部観てしまい、逆に吉住は最初からすごく面白かったが恐らく半分にまで達さないうちに私は眠りに落ちてしまった。
夢の中で私は北海道の雪の上に立ち、激しく嘔吐した。
悪夢にうなされ目が覚めると、身体がとんでもなく熱いのがわかった。
間違いなく病気になってしまった。
やられてるねえ・・・北海道に・・・
ロバートダウニージュニアが、来日時にあらゆるトラブルに見舞われ、生魚を食べて食当たりを起こし、日本は俺に向いてないと嫌日家になってしまったのは有名だ。
同様の理由で私は現在、嫌北海道家として、どこかで登壇するつもり満々なのであった。
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