写真と民俗【神事・磯部の御神田】
※この記事は約5分(2分の動画を含む)で読めます
どうもメダカです
初めましての方は初めまして
旅行記とは別に写真と民俗学を始めました
初回の写真と民俗学は米の豊作を願う神事【磯部の御神田】に行きました。
(過去の記事も該当する物はタイトルを修正しています)
ちょっとその前に
今回の記事は磯部の御神田についての記事です。
日本人と米の関係について知りたい方は、
vtuber諸星めぐるさんのnoteとyoutube動画を見てください。
とても勉強になりますよ。
磯部の御神田
それでは本編
磯部の御神田(いそべのおみた)とはどんな神事か?
細かい事はいいのでとりあえずこの映像をご覧ください。
伊雑宮と磯部の御神田
伊雑宮
伊雑宮(いざわのみや)とは伊勢神宮 内宮の別宮としての一社で、祭神は天照大神
歴史は古く804年(延暦23年)にはもう存在が確認されています。
磯部の御神田は伊雑宮の隣にある御料田で執り行われます。
※天照大神(あまてらすおおみかみ)日本神話に登場する太陽の神
※内宮 (ないくう) 伊勢神宮は内宮と外宮の二つに分かれ、内宮は皇大神宮と呼ばれ天照大神が祭られています
※別宮 (べつぐう) 本宮に付属して別の場所に立てられた神社。本社と支社のイメージ
※祭神 (さいじん) 神社に祭られる神様の事
※御料田(ごりょうでん)神事を行うための田んぼ
磯部の御神田
磯部の御神田は毎年6月24日に行われ、日本三大御田植祭と言われ1990年に国の重要無形文化財に指定されています。
平安時代末期か鎌倉時代初期から田楽として行われるようになったと言われています。
※御田植 (おたうえ) 苗を植えて豊作を祈る神事
※田楽(でんがく)稲作の作業を唄や踊りを織り交ぜながら演じ田の神様をおもてなしする神事 (御田植も田楽の一部)
磯部の御神田の流れ
ここからは磯部の御神田がどのように行われるか写真と共に見ていきましょう。
七度半
※田道人 (たちど) 御田植神事を行う男衆
※七度半 (しちどはん) 神事や祭礼などで使いを出して神様をお迎えします。
式三番
すいません撮影出来ませんでした・・・
※式三番(しきさんば)豊年や繁栄を祝い願う舞
修祓
※修祓 (しゅうばつ) 穢れや災いなどを祓い清める
※役人 (やくびと) 神事において担当する役割を持つ人々
御正殿参拝と早苗を授かる
※早苗 (さなえ) 稲の苗
御料田へ参進
※参進 (さんしん) 神職や巫女を先頭に列になって、歩いていく儀式
苗代取り
※早乙女 (さおとめ) 御田植神事を行う女衆で小中学生から選ばれ、昔は嫁に行く際に箔が付き大変名誉な役人であった
※苗代 (なわしろ) 早苗を育てる田んぼ
竹取神事
※泥うち (どろうち) 神事において泥は神聖なモノであり泥が付けば付くほど縁起がいいとされます
※忌竹(いみだけ)神事のとき、不浄を防ぐために立てる竹で、竹を持っていると豊漁祈願にもなる
※泥田坊 (どろたぼう) 日本の妖怪、泥うちは関係ない通行人にも泥を塗るので、その行為から妖怪 泥田坊 の起源になったと言われいます
御田植神事
※刺鳥差の舞 (さいとりさしのまい) 鷹狩りの時に餌にする鳥を捕ることを意味し、鳥を捕る様子を身振り手振りで狂言風に踊ったのが始まりで、鳥を捕ることから転じて、「嫁をとる」、「福をとる」など縁起の良い舞とされる
※小謡 (こうたい) 曲中の短い一節を、謡うために抜き出したもの
踊込み
千秋楽の仕舞
※千秋楽 (せんしゅうらく) ものごとの終わりや興行最終日を指して使われる
まとめ
以上が磯部の御神田の流れです。
朝の8時から始まり終わるのは夕方の5時。
丸一日かけて行われる神事で、雨が降ろうと台風が来ようと行われ、戦時中でも休む事なく行われたそうです。
昨今は少子化が原因で役人の成り手も少ないそうですが、数百年続く神事ですので、後世に残し1000年2000年と続いて欲しいですね。
以下特に素敵だった役人達のスナップをご覧下さい。
※注釈がとても多く読み辛かったと思います。
また注釈はあまり詳しく説明すると注釈の注釈が必要になってしまいそうなので、ざっくりとした
意味のみの説明になっています。
※注釈ついて間違いがあった場合はこっそり教えてください。
次回予告
次回は山形に残る冥婚について調べに行く予定です。(未定)
乞うご期待。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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