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川上弘美「物語が、始まる」は何故グッとくるのか? 第二夜


 全7回に渡って川上弘美「物語が、始まる」の魅力を紹介します。

↓ 前回


第二夜 「物語が、始まる」ってどんな話?(前半)


 それでは早速、「物語が、始まる」はどういう話なのかをなぞっていきます。

引用については、2012年4月20日発行(9刷)の川上弘美『物語が、始まる』(中公文庫)に準拠します。

 この作品は一言でいうと、「人ならざるモノとのラブストーリー」です。
 以下、本作の書き出しです。

 雛型を手に入れた。何の雛型かというと、いろいろ言い方はあるが、簡単に言ってしまえば、男の雛型である。
 生きている。

P9

 ある日“私”は、「団地の端にある小公園の砂場」で、“男の雛型”を拾う。その雛型は、「生きている」。
 のっけから「雛型」という単語が出てくるので「そういや雛型って何だっけ……」と面食らうが、辞書を引くと「実物をかたどって小さくしたもの。模型。」とある。
 本作で「雛型」は、人間より一回りか二回りくらい小さいサイズの人形、という意味合いで使われている。
 冒頭で紹介される雛型の特徴は以下の通り。

・大きさは一メートルほど。
・顔や手や足や性器などの器官はすべて揃っている。
・声を出せる。
・本が読め、簡単な文章を書ける。
・サッカーのルールは知らないが、ボールを蹴ることはできる、というくらいの運動能力がある。
・子供の背丈だが、顔つきは子供ではない。かといって、大人でもない。
・「雛型らしい顔つき」としか形容しようのない、中途半端な顔つき。
・“私”に拾われたとき、腕には「どうぞ持っていってください、きけんはないです」とかすれたマジックで書かれていた。

 さらっと書いてあるが、この雛型はただの人形ではなく、自分で動き、しゃべることが出来る。

 最初(※雛型を)抱いて歩いたが、途中で思いついて「歩く?」と聞くと「うん」と答えてすたすたと歩きだした。知能を持っているとは思っていなかったから、一瞬「しまった」と後悔に似たものが湧いたが、排泄や食事のしつけをするのには楽かもしれないとすぐに考え直したところをみると、すでに育てるつもりになっていたに違いない。

P10(※評者注)

 雛型を家に連れて帰った“私”は、雛型に服を与えたり、絵本の読み聞かせをしたりする。
 最初のころは「置かれた人形のようにじっとして」「朝とまったく同じ姿勢で椅子に座っていた」雛型も、徐々に人間の子供のような振る舞いを覚えていく。

 笑うと、雛型はもう雛型ではなくなり、中くらいの人間になるのだった。

P13

 ところで、“私”には“本城さん”という恋人(男)がいる。
 週に一度は性交するほどの仲であり、好き合ってはいるものの、アツアツというよりかは互いにクールなやり取りが多い。
 しかし不思議なことに、“私”と本城さんの会話は時たま通じなくなってしまう。

「しまった」薄緑の本城さんが叫ぶ。
「熊谷に玉を渡すのを忘れた」
 本城さんは、そう言ってから私の顔をまじまじと眺めた。
「君の顔を見ていたら、思い出した」
「玉?」
「玉を渡して孵してもらわなければならなかったんだ」
「孵す?」
「熊谷の叔父さんの先輩の兄嫁っていう人がね」
「え」
「繁盛するんだよ」
「………」
「しまったなぁ」
(略)ときどき、私と本城さんの会話は、こうなってしまう。たぶん、何か大切な一語一文を、私たちは抜かしてしまっているのだ。

P18~19

 そうこうする間にも、雛型は順調に成長していく。

 雛型は、もう雛型ではなくなり、男になってしまった。奥まった目の、考え深そうな表情の、若い男になったのである。
(略)
 もう雛型ではなくなったので、三郎という名前をつけた。

P20

 これ以降、作中で雛型は「三郎」と呼ばれることになり、時折“私”が、彼がかつて雛型であったことを思い返すとき以外は、三郎の行動は「若い男」のそれと見分けが付かないものになる。

 さて、ここまでで本作の登場人物は全員出揃った。
 “私”、三郎、本城さん、の三人である。
 一旦ここらで軽くまとめてみよう。

【登場人物】
●“私”……女性。名前は「山田ゆき子」。会社で働く社会人。年齢は20代くらいか?
●三郎(雛型)……元々は公園の砂場に捨てられていた雛型であったが、“私”とのやり取りを重ねるなかで「若い男」に成長する。“私”のことを好いている。
●本城さん……男性。“私”の恋人。時折“私”と「ところどころに大きな平たい穴が開いたような」ちくはぐな会話をしてしまう。さん付けなので“私”よりおそらく年上?

◆ ◆ ◆

 そして、本城さんが動き出す。

 本城さんが結婚を望んだ。
「え」と私は言ってしまったのである。
「私と結婚してください」(略)急に本城さんは切り出したのであった。

P26

 本城さんからの急なプロポーズに逡巡する“私”はとっさの出まかせで「丑年の人と午年に結婚してはいけない」という謎の「家訓」を持ち出し、結婚の話をうやむやにしようとする。

 私は雛型を持っていることを、なかなか本城さんに言えないのである。
 結局私と本城さんは、どうどうと、どうどうと、結婚についての意味のないやりとりを一時間ほど交わし、疲れ切って、そのまま別れたのであった。

P28


 “私”と本城さんの関係が徐々に微妙なものになっていくなか、三郎は“私”の気持がぐらつくような言動を取るようになる。

「僕はゆき子さんのことを知りたいんです」
(略)
「そんな人間は、好かれないわよ」私は言ってみた。
(略)
「僕は別にあなたに好かれようなんて思っていませんよ」
(略)
「ふーん、なんだかつまらないなあ」私は言ってみた。すると、三郎は目を細めたまま、こう言ったのである。
「僕がゆき子さんを好いているだけで必要十分ではありませんか、そうは思いませんか」
 少し参った。これはあなどれない、初めて思った。

P31~32

 そして、とうとう本城さんと三郎が対面する機会が訪れる。

 本城さんが、来た。突然来たわけでもなく、実は私が誘ったのであるが、誘っておきながら最後まで三郎のことを説明していなかった。説明できなかったということもあるのだが、前置きなしに三郎と会った時の本城さんの反応を見てみたいといういやらしい願いが自分の奥底にあることも、わかっていた。

P32

 結局、本城さんは三郎に好印象を持つことはなく、「不愉快」「僕は雛型なんて欲しいと思ったことは一回もないよ」と“私”に不満の気持をぶつける。言い合いをしている内に、またしても二人の会話は噛み合わない、意味を成さないものになっていく(その後、このときの険悪な二人の様子は三郎から「ゆき子さんたち、駄目だよ」「なんだかあなたたちは、本質的じゃないよ」と評されてしまっている)。

 ある日、「珍しく、三郎が沈んでいる」様子だった。

「どうしたの」私は食事の支度をしながら聞いてみた。
「ゆき子さん」三郎が、私の顔をまっすぐに見ながら言った。「どうやら、ぼくはあなたに恋をしているようです」
 唐突である。私は笑いだしてしまった。
(略)
「三郎、私に恋をしてはだめよ」私は三郎の茶色い瞳を見ながら、言った。
(略)
 三郎の体を押しやり、食事を並べる。三郎と向かい合って食べるのが、少し煩わしかった。そして、煩わしいのと同じくらい●●●●●●●●●●●慕わしかった●●●●●●。これはまずい、そう思ったが、まだまだ見くびる気持ちの方が強かった。その時には。

P41~43(傍点評者)

 そして、“私”は「もう三郎の目を見ることができない」くらいに三郎のことを強く意識し、「三郎には、果して性欲があるのだろうか」とまで思い悩むようになる。
 一方、本城さんとの関係はますます壊滅的なものになっていく。

 本城さんは、どうやら私の言葉をのがすようになってしまったようなのである。
 私が愛の言葉を囁くと、それが本城さんの耳には「オーストラリアで負い目を感じるのよ」だの「夫婦茶碗を飲み込もうかしら」などという文章に変換されてしまうらしかった。
 私と本城さんは、今やバグだらけの日本語変換ソフトを内蔵したパソコンとそのユーザーみたいなものだった。
(略)
 本城さんが私を見つめる。その瞳は、私の目と口と鼻と眉をうつすが、覗き込むと私の輪郭はなく、ただ目や鼻や口や眉がばらばらに置かれているだけなのである。

P47

 “私”のことをもう何も認識できない本城さんに対して“私”は「可哀相な人」という感想を抱く。
 そして“私”はもう「三郎と交接したくて焦れている」。

「好きなの」今ではもう恥ずかしげもなく、私はこんなことを言う。「三郎、三郎、三郎」などという連呼もしてしまうのである。答える三郎だとて「好きだよ、世界で一番」などと、世にも陳腐でいかにも恋人らしい言葉を述べたりはする。
 私たちは抱きしめあい、接吻し、触りあう。しかし、それ以上のことは、何も起こらないのであった。

P48~49

【次回予告】
 “私”と本城さんがついに……!?

 あらすじの前半はここまで。第三夜に続きます。
 それではまた明日。


 ↓ 第三夜





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