東京都現代美術館「高橋龍太郎コレクション」を見る
何年ぶりだろう、久々に東京都現代美術館に来た。
お目当ては「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」。
チラシには「ひとりの精神科医が集めた日本の戦後」というサブタイトルがあった。
鑑賞前に館内のコインロッカーに荷物を預ける。
ロッカーを閉めるには100円玉が必要だが、荷物取り出しのときに硬貨が返却されるタイプ。うれしい。
入場すると、初手から草間彌生作品がお出まし。
作品から放たれる膨大なエネルギー量に早速ガツンと頭をやられる。
本展覧会は六つのゾーンに分かれている。
一つ目のゾーンは写真撮影NGだが、二つ目以降は基本的に撮影OKとのことだったので親の仇とばかりにバシャバシャ撮りまくる(一部撮影禁止の作品があるので要注意。舟越桂の彫刻作品とか……ウェ~~ン)。
えっ村上隆!? 会田誠!? 奈良美智!? 山口晃も!?(山口晃作品は写真撮り忘れた、不覚……)
現代美術に疎い私でも知っているような有名どころの作家の作品も展示されており、ミーハー心が満たされた。
他にも4メートルの両性具有化したプレスリーや
6メートルのセイラ・マスの巨大彫刻作品があったり
不勉強ゆえ存じ上げなかった作品たちも私の感性にビンビン訴えかけてくるものが多数あり
展示を見終わる頃には「現代アートってすげーや……」と放心してしまいました。
そして改めて気付くのである。
この膨大な作品群が、精神科医・高橋龍太郎氏という一個人が所有しているという事実に。
一つひとつの作品はそれ単体だけでもすさまじいパワーなのに、本展覧会の全ての作品のエネルギー総量を合わせたらそれはもうとんでもないことになっており、それがそのまま高橋氏という人物が持っている「戦闘力」のように思えてくるのである。
下世話なハナシで恐縮だが、これらを買い集めるのにどれだけのお金がかかったのかを想像するだけでも気が遠くなる。
私の中ではすでに『賭博黙示録カイジ』の兵藤会長のように口の端から大量の肉汁を垂らして極厚A5ランク黒毛和牛のステーキ(1㎏)にむしゃぶりつきながらまるで血のような、っていうかそれもう絶対血だろみたいな色した赤ワインをゴブゴブ飲んでいる(朝昼晩毎回このメニュー)“怪人権力者”のイメージが形成されていたのだが、念のため「高橋龍太郎コレクション」のウェブサイトを確認したところ、そこには非常にクレバーで物静かな雰囲気の“ザ・良心的精神科医”な紳士の写真が掲載されており、それが当の高橋氏であった。
高橋氏の弁によると、無限にお金があるというわけでもなく「ギャラリーに借金だらけで、銀行にも作品購入のためにローンを組んでいる私にお金は全くありません」とのことだった。
実業家が自室に飾るために現代美術の作品を買い求めるというのはよく聞く話だ。
「美術作品を買う理由は何ですか?」という質問に対して多数は「なんだか元気をもらえるから」と回答するらしい。
彼らはファインアートからまさにファイン(fine)を受け取っているのだ。
高橋氏は1990年に精神科クリニックを開業。
「そのとき待合室に飾る絵を求めたのが、もともとはコレクションの始まり」だった。
そのスタートから34年、コレクションの総数は3,500点をゆうに超え、現在もなお若手作家の最新動向を中心に拡大している。
芸術は長く人生は短し。
人の命は短いが、優れた芸術作品は人の死後にも生き続ける。
芸術作品はその身が朽ちぬ限りは永遠に生き続けるが、あくまでも人間の命は有限である。
いつかは高橋氏にもこの膨大なコレクションを手放す日が絶対にやってくる。これはもう決定事項である。
「色即是空」に囚われている私としては、いつかは手放さなければならないのに、お金に苦労してまでコレクションを集めるのはなんだか虚しい行為のように思えてしまう。
しかし一時的とは言え、人を驚嘆させるエネルギーを放つ芸術作品を、自らの近くに置いてじっくり鑑賞するという権利を有することが出来る。永遠の所有ではないと理解していても、芸術から迸る魔のようなその魅力には、抗えないということであろう。
そして、コレクションを形成するということは、心あるコレクターによってその作品群がしっかり守られているということでもある。
これだけの作品群をキープするためには、それらを保管するための倉庫代も大変な額になっていることだろう。頭が下がる思いである。
そして遠い未来、「昔、こういうコレクターがいた」「この作品は、一時期高橋氏が所有していた」というような記述が出てくるかは分からないが、そのような形で間接的にでも、永遠の命を持つ芸術作品たちと一緒に生き長らえるということはあるかもしれない。
人生が短いからこそ、人間は芸術から永遠の美を見出す。
そんな気もしてくるのである。
ところで企画展のチケットを買うと、併設の「MOTコレクション」も見られる。
これらを見終わってコインロッカーから荷物を取り出すころには、芸術のパワーにビシバシやられてすっかりヘロヘロになってしまった。
帰途、ブックオフに寄る。
100円引きクーポンを使用して「得したぜ……」とニヒニヒ下卑た笑みを浮かべていると
「100円?」
思い出した。
東京都現代美術館のコインロッカーの100円玉、回収してない!
周囲に人がいるのでなんとか堪えたが、本当はその場で膝から崩れ落ちてしまいたかった。
私としたことが、なんというミスを犯してしまったのか。
来館前に銀座で高級パフェを食べている身の上ではあるが、やっぱり100円は惜しい。
「ブックオフで100円クーポンを使ってるんだからそれで帳消しということでいいじゃないか」という意見もあろうが、今や私の頭の中は「マイナス100円……マイナス100円……」の呪詛でパンパンである。もう誰の声も、私には届かない。
100円くらいでこれだけ心がグチャグチャになる程度の人間なので「高橋龍太郎コレクション」が持ち合わせているような“高尚な精神”への道のりはなかなか遠そうだ。
失われた100円の幻影を求め、当てずっぽうで東京都現代美術館があると思われる方角を私はキッと睨んだ。
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