私の仕事は終わった
1905年(明治38)5月27日。
日本海軍の艦隊は、ロシアのバルチック艦隊と、戦いの火蓋を切った。
両艦隊が間近に迫った瞬間の14:05。
距離8,000m。
東郷平八郎司令長官は大角度の針路変更を指示。
先頭をいく三笠は、「敵前大回頭」(トーゴー・ターン)を始めた。
いわゆる丁字戦法である。
これを見た、参謀の秋山真之は、そのまま仮眠室に行って、眠り始めた。
戦いは始まったばかりである。
部下が不信に思い、仮眠室に向かって問うたところ、このような返事であった。
「作戦を立案するのが、参謀の務めじゃ。戦いが始まったら、参謀はいらん。終わったら起こしてくれ。」
そう言って、三日ぶりの安眠を得た真之であった。
作戦立案者の秋山真之は、日本海海戦の大勝利を見ていない事になる。
天才軍略家は、見るまでもなく、勝利を確信していたのであろう。