戦争について語ろう(6)
軍事と外交
さて、軍事力を持っていたウクライナは、ロシアの侵攻に抵抗し、現在も、独自の文化や言語を維持しています。
しかし、それができなかった国も存在します。
例えば、イラク。
大量破壊兵器を所持しているとして、アメリカに「いちゃもん」をつけられ、ついには侵略されてしまいました。
イラクも、軍事力は持っていましたが、アメリカの最新兵器には敵わず、戦いは、一時間ほどで決着がついたそうです。
ウクライナのように、味方してくれる国家もなく、あっという間に首都は陥落。
フセイン大統領は逮捕され、処刑されてしまいました。
一方的な、いじめですね。
しかし、戦後のイラクは、平和どころか、戦乱の時代のようになり、ISILという、テロ組織が暴れまわる事となりました。
多くの人が殺害されただけでなく、貴重な文化遺産が、いくつも爆破されました。
イラクの風土や歴史が破壊されていったのです。
女性の進学率も低下してしまいました。
フセイン大統領は、女性の進学を推進していました。
ちなみに、中東のイスラム国家では、初めての取り組みだったそうです。
周辺国からは非難されましたが、フセイン大統領は、これを無視して、進めていたのです。
ところが、フセイン政権が倒れ、ISILなどが暴れ出すと、文字が読める女性は、非イスラム的だとして、処刑対象となってしまいました。
軍事力を持っていても、外交面で、しっかり対処しなければ、風土が失われる一例だと思います。
さて、軍事力を持っていなかったら、どうなるでしょうか。
その良い例が、チベットだと思います。
今から七十年ほど前、中華人民共和国は、中国の領土を完成させると称して、一方的に、チベットは自国の領土だと宣言。
軍事侵攻を始めました。
チベットは、清王朝が滅亡した際、別個の国家であるとされていましたが、中国は、それを無視してきたのです。
近代的な軍隊を持っていなかったチベットは、なすすべもなく、占領されてしまいました。
この動きを、欧米諸国は、ほぼ黙認しました。
チベットに手を差し伸べた国は、皆無だったのです。
チベット人も、黙って従ったわけではありません。
抵抗運動を起こしました。
しかし、ことごとく鎮圧され、ダライ・ラマ14世は、インドに逃亡。
亡命政府を樹立する事態に発展してしまいました。
さて、こういった、様々な事例を考えると、軍事力の有無は、国の命運に関わるような気がします。
だからといって、それだけでは、安心できないのも事実です。
イラクのように、外交で失敗してしまっては、軍事力を持っていても、意味がありません。
その点、ウクライナは、しっかりしていました。
軍事力で、ロシアの侵攻を抑えつつ、その間に、外交で、欧米諸国を味方につけました。
援助を取り付ける事に成功したのです。
チベット、イラク、ウクライナ・・・三国の歩んだ道は異なりますが、そこから見えてくるのは、軍事と外交の重要性ではないでしょうか。
軍事と外交は、私たちの暮らしを守るモノ・・・と言えるかもしれません。
ですから、軍事と外交の両輪が、ちゃんと回らなければ、大変な事になる可能性があると思います。