JW84.5 健磐龍登場
【阿蘇開拓編】エピソード5 健磐龍登場
紀元前585年、皇紀76年(神武天皇76)2月1日、日子八井命(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)の要請というオリジナル設定により、健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)が、橿原宮(かしはら・のみや)に呼び出された。
呼んだのは、言うまでもないが、祖父の神武天皇(じんむてんのう)こと狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)である。
サノ「・・・ということで『たつお』よ。汝(いまし)を筑紫(ちくし)に派遣しようと考えておる。」
たつお「筑紫・・・。二千年後の九州のことやね?」
サノ「じゃが(そうだ)。ヒコヤを赴かせたが、阿蘇の開拓は困難を極めておるらしい。」
たつお「じゃっどん、なして我(われ)なのでしょう?」
サノ「そ・・・そんなことを問われてもな・・・。」
ここで、総理大臣的な存在である、申食国政大夫(おすくにのまつりごともうすまちぎみ)の可美真手(うましまで)(以下、ウマシ)と弟磯城(おとしき)こと黒速(くろはや)(以下、クロ)が口を挟んだ。
ウマシ「皇子(みこ)の仰ることは分かります。自分やないとダメなのかっちゅう意味でんな?」
クロ「選別基準は、はっきりと書かれておりませんが、ヒコヤ様の御子息がいるじゃないかって、ことですよね?」
たつお「そうやじ。ヒコヤの伯父上には、天彦命(あまつひこ・のみこと)という息子がいるっちゃが。『あまっち』と呼んでくんない(ください)。」
サノ「確かに『あまっち』もおるが、もしかしたら、筑紫で生まれた子かもしれぬしな・・・。息子がいても、手に負えぬという設定になっておるのであろう。」
ウマシ「せや! 作者の陰謀というか、伝承が残ってるんやさかい、ここは行かなあきまへんで。」
たつお「ちょっと待ってくんない! 父上と相談するっちゃ!」
ここで、たつおの父、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が呼び出された。
カンヤ「来てしまったじ。」
サノ「カンヤ! 息子が相談したいようじゃ。何か言ってやれ。」
カンヤ「じゃっどん、父上。『たつお』は、我(われ)の息子ではないかもしれないんやじ。」
サノ「息子でなかったら、我の孫でもないということになるではないか!?」
たつお「ち・・・父上? そいは、どういう意味っちゃ?!」
カンヤ「実はな『たつお』・・・。他の説では、我の孫(三世)とか、五世孫の玄孫(やしゃご)とか、六世孫の来孫(らいそん)とか、挙句の果てには、十二世という雲孫(うんそん)の曾孫という説まで有るんやじ。」
たつお「ち・・・父上?」
サノ「そうか・・・。諸説ありか・・・。来孫なら、我も天照大神(あまてらすおおみかみ)の来孫ゆえ、理解の範疇に及ぶが、う・・・雲孫の曾孫となってくると、伝説の領域に入る気がしてくるぞ。」
たつお「そ・・・そいでも、我(われ)は向かうっちゃ!」
カンヤ「何か、よく分からんが、吹っ切れたようやな。」
サノ「では、行けい! 可愛い孫! 『たつお』よ!」
こうして「たつお」は、筑紫に向かったのであった。
紀元前585年、皇紀76年(神武天皇76)2月のことである。
その翌月の3月11日、偉大な人物が、此の世を去った。
この物語では「たつお」が、高千穂(たかちほ)に来ていた時のことにしたいと思う。
ヒコヤの時と同様、三毛入野(みけいりの)の八人の息子(タカチホズ)が迎え入れたという設定である。
タカチホズ「た・・・たつお! 今、橿原から報せが届いたっちゃ!」×8
たつお「何や? 帰ってこいっちゅうことか?」
タカチホズ「大王(おおきみ)が、去る3月11日に、おかくれあそばされたと・・・。」×8
たつお「なっ?! じいちゃんが!」
タカチホズ「ちなみに、天皇が亡くなることを崩御(ほうぎょ)と言うんやじ。」×8
たつお「悲しいが、ヒコヤの伯父上がいる、草部(くさかべ)に向かわねばならないっちゃが。それが、じいちゃんへの手向けになるはずやじ。」
タカチホズ「じゃが(そうだな)。」
たつお「まずは、じいちゃんが暮らしていた宮の近くに、じいちゃんの神社を建てるっちゃ。」
タカチホズ「大王が東征前に住んでいた宮は、皇宮神社(こうぐうじんじゃ)であるといわれちょる。記念すべき、エピソード1で登場した宮っちゃ。地元の人たちは「皇宮屋(こぐや)」と呼んじょるじ。晴れた日には、高千穂峰を望むことができるっちゃ。あと、『皇軍発祥の地』という石碑も立ってるじ。」×8
たつお「じゃが(そうだ)。そこから600mほど離れた場所に、神社を創建するっちゃ。宮崎神宮(みやざきじんぐう)のことやじ。」
タカチホズ「エピソード1で登場し、エピソード3では、復元した船の説明で再登場してた神社やな?」×8
たつお「じゃが(そうだ)。」
こうして「たつお」によって宮崎神宮は創建されたのであった。
その後「たつお」は、宮崎県延岡市(のべおかし)に向かい、そこから五ヶ瀬川(ごかせがわ)を遡っていった。
行き先は、奥阿蘇(おくあそ)の草部(くさかべ)。
ヒコヤの宮である。
たつお「ヒコヤの伯父上と同じ道を進んでるんや。ちなみに今回も、タカチホズの面々が同行しちょる。」
タカチホズ「いろいろと解説に加わるっちゃが!」×8
草部に向かう途中、たつおは、御嶽山(みたけさん)の麓で、しばらく逗留した。
その地は御岳村(みたけむら)と言われている。
たつお「ここで、我は村々を廻ったんや。成君(なりぎみ)、逆椿(さかつばき)、村雨坂(むらさめざか)など、ゆかりの地として名を残しちょるんやじ。」
タカチホズ「じゃっどん、二千年後のどのあたりになるのか、全てを調べることはできなかったじ。成君は、今も地名として残っちょるんで、他の地名も、その近辺やと思うじ。」×8
その後、たつお一行は、阿蘇の馬見原(まみはら)に入ったのであった。
つづく