3年生が卒業した。
先の記事でも書いたように、今年度の授業、RW/WWもこれにて終了。
レターエッセイはほぼ全員が書き切った。
文章には、一人一人の個性が出る。
レターエッセイを読むと、それを実感する。
青春群像劇、グルメ、ミステリー、ホラー。
関心をもつものも違うし、文体も違うし、注目するところも違う。
「みんな一緒に」の作文教育では、こうはいかない。
完成した作品を読んで評価するときが、最も楽しい(そしてしんどい)。
コメントにも熱が入る。
3学年はおよそ60人。一人一人を思い浮かべながら書く。
書くといっても、パソコンでのフィードバックだけど。
コメントを書くたびに、「よいフィードバックができているか」ということを考える。
今日は、今年度最後のRW/WWの授業記録と、「よいフィードバック」について考えたことを書く。
フィードバックの奥深さ
生徒主体の授業になればなるほど、「よいフィードバック」とは何か、という問いに向き合うことが多くなると思う。
原義は上記の通りだが、今や「物事への反応や結果をみて、改良・調整を加えること」という意味で使われていることの方が多い(語義の出典は上記リンクに同じ)。
フィードバックの重要性については、以下の記事を参照いただきたい。
「よいフィードバック」を考えるとき、「教師はどのような役割か」ということをはっきりさせておく必要がある。
学校での学びを物語としてとらえたとき、生徒は英雄(主人公)、教師はメンター(案内役)。
この本によれば、「よいフィードバック」とは「生徒をエンパワーするもの」である。
私なりに、「よいフィードバックとは?」という問いに対して、答えを出してみる。
フィードバックした内容は、いずれ消えてもいいし、生徒の中に残り続けてもいいと思う。
宿ってくれたらそれでいい。
逆に、フィードバックが生徒を悩ませるかもしれない。
それも、生徒や状況によって良し悪しが決まると思う。
教師が物語における案内役になることが、よりよいフィードバックをするための条件であることは間違いなさそう。
一言で「よいフィードバックとは……」と語れないのが奥深いところだと思う。
ファシリテーションと同じで、道(どう)の概念に近い?
生徒の作品と、実際のフィードバック
生徒の許可を得て、実際に生徒が書いた作品と、私のフィードバックを掲載する。
エッセイなので、句読点や小さなミスは修正していない。
悪しからず。
ちなみに、文章自体はこのようなルーブリックで評価した。
今まで習った知識(表現技法)と技能(スキル)を使って書くという条件である。
なお、この実践はkanakanazemi先生の授業を参考にさせてもらっているので、完全に私オリジナルの授業ではないことを申し添えておく。
生徒Mのレターエッセイ
まず1人目。
もともと自走できる生徒だけど、私のフィードバックを素直に受け取ってくれたのか、効果的に本文から引用しつつ書いてくれた。
ただ、「教師に言われたから書いた」が心配だけど。
指示とフィードバックも違う。うーん。
この生徒が素晴らしいのは、様々に脱線しながらも、この本に重心をしっかりと置いているからだと思う。
そんなことを思いながら、最後のコメントを書いた。
生徒Hのレターエッセイ
そして、もう1人。
選んだ本、文体。同じ中3でもまったく違う!
文章の巧拙は別にして、読むこと・書くことを楽しんでいるのが伝わってくる。
「復讐好きにはたまらないんだ。これが。」とか、この人の個性がよく出ている(笑)
彼女は、自分がひねくれているのはよく分かっていて、そのことに若干の後ろめたさがあるようだった。
そこで、私は「書きたいように書いていいよ!」「文章に個性が出るってなかなかないよ!」というスタンスでコメントした。
毎時間のフィードバックに最初は気づかなかったようで(見方は全体説明でしたんだけど)、途中から振り返りの文量が増えていった。
彼女への最終コメントはこちら。
すると、最後の授業でこんなコメントが。
実際に読んでくれたらしい。丁寧に写真つき(笑)
書きぶりは独特だけど、源氏物語とのつながりも見出している。
積極的な発言をしない生徒だったけど、こういう場面では抜群。
話す能力だけじゃなくて、もっと生徒一人一人のよさを引き出して、その都度クローズアップしていきたいと思う。
こういうやり取りがもうできないのも、寂しいな。
次年度の構想
今回の授業で、レターエッセイについての知識を得た。
実践を振り返る中で、次年度に向けたTRYを書き残しておきたい。
次年度からは、学年末の最終課題を選択制にしようと思う。
詩、俳句、短歌、物語文、論説文、レターエッセイなど。
それらを「A 韻文」「B 散文」に分類(難しいところだけど、生徒が書いたものが散文詩でも、それは韻文に含めようと思う)し、AとBから最低一つずつ選択して取り組むことを課す。
そうすると、年間を通して授業での積み上げが物を言う。
成果物や発表、プレゼンテーション。
蓄積がないと、生徒はそもそも選択できないし。
生徒の成果物は、表現技法やスキルが効果的に使えているかどうかを「思考・判断・表現」の枠で評価する(イメージは今回のルーブリックと同様)。
内容については評価しない(倫理的に駄目なものは止めるけど)。
個人的な感想を述べるだけに止めようと思う。
「知識・技能」はテストで測ればよいと思っている。
欲を言えば、「なぜ表現技法を使うのか?」「なぜ詩をつくることに意味があるのか?」といったように、学習することの意味を理解してもらえたら、それが一番いい。
感傷に浸るのもそこそこにして、次年度に向けた準備もしよう。
どんな生徒に出会えるのか、今からとても楽しみだ。