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日記「蕎麦とつけ麺」

今日は蕎麦を食べ、あとは大体アトリエにいて絵を描いていた。

それはそうと蕎麦。その美味しさに今日いたく感動してしまった。もう何度も行っている店だし前から美味すぎる〜とは感じていたのに、今日の蕎麦のインパクトはなにか突き抜けたものがあった。


まず一つ目の理由として考えられるのは新そばだったこと。単純に風味がよく、久しぶりなことも相まって衝撃が大きかった。
そしてもう一つ。こちらの理由の方が割合が大きい気がするが、ここのところつけ麺をよく食べていたことだ。最近流行っている淡麗系のつけ麺というものがある。国産の鶏をベースに、質の良い醤油を何種類かブレンドしたスープ。短冊形に切られた長ネギと低温調理のチャーシュー、それから昆布水に浮かぶ自家製麺など、どこが発祥なのかは知らないが割と様式が固まりつつあるジャンルだ。
僕はこれがラーメンよりも好きでよく食べる。しかもなぜか栃木でこの様式がわりと流行っていて、東京に負けず劣らず良い店がある。

だいたいこのような昆布水つけ麺を出す店は、最初に塩と麺だけで食べるよう促される。店によってはワサビもついていて、醤油味が好きな僕ははじめはその食べ方に疑いの目を向けていたが実践してみるとこれがとても美味しい。醤油味のつけ汁ももちろん美味しいのだが、塩とワサビ、麺という組み合わせで食べるのも捨て難い。

そこでふと思う。つけ麺がこのまま進化し続けたら最終的には蕎麦になるんじゃないか?と。
どうにもいまのつけ麺は麺90点、つゆ90点、それが合わさり95点くらいになる、みたいな食べ物であるように思う。
この残りの5点は麺とつゆの一体感にあるのだと思うが、今日食べた蕎麦にはそれが完全に体現されていた。

僕がいま一番続刊を楽しみにしている漫画である『らーめん再遊記』の一巻には、ラーメンと蕎麦を比較して論じるシーンがある。
曰く、現代のミシュランを取るようなラーメンは蕎麦が辿った道のりをトレースしている。大衆料理としてスタートした蕎麦は、やがて戦後の新しい食文化の台頭によってその地位を失い、安価な立ち食いと高級店に二極化する。今日のラーメンも高級店志向の店には昭和東京ラーメンという伝統のもと、新しい技法でさらなる興隆が期待されている、ということらしい。
大衆文化として始まったジャンルの一部が高級化の道を辿るのはどうやら宿命らしく、寿司、天ぷら、蕎麦と食事はもちろん、能、歌舞伎などの伝統芸能にもそれは拡大できる。

『らーめん再遊記』の面白いところは、ラーメンが高級化してめでたしめでたしという結論に留まらないところだ。10巻では主人公である芹沢が、ラーメンはいまや偽物から脱皮し本物の麺料理となったと語る。しかし本物になったことで偽物から本物へ変わろうともがいていた頃の熱は消え失せ、クオリティは高いが退屈なものになっているのではないかと言う。

ひと足先に「本物」になった蕎麦には一日の長がある。退屈さそのものに向き合い、格闘してきた歴史がある。

絵画ももしかしたら似たようなものなのかな、とふと思った。

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