菊地匠

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渚にまつわるエトセトラ

 僕の通っていた小学校では、海辺の施設で宿泊学習を行っていた。たしか8、9歳のころ、その日は曇っていた。  夕方から海辺を散歩し、夜には施設の裏での森で肝試しを行う。  海辺を歩き始めると、すぐに皆あることに気がつく。前日に嵐でもあったのか、数十羽という単位の海鳥が浜に打ち上げられて死んでいた。  僕のことを好いてくれていた女の子が、「懐中電灯が壊れたからアンタと一緒に歩くわ!」と漫画みたいなことを言いながら腕を組んできた。  海鳥の死体の間を進むうちに、今度は大きな海亀の

    • 日記「スランプ、芸術の円」

      今日はひとりお昼にラーメンとカレーをたべて腹がはち切れそうになり、そのままアトリエに行き絵を描いていた。 制作の方は最近やっとスランプを抜けた。これはある程度の確信を持っていえるが、ここからしばらくは良い絵が描けるだろう。というかここ一年がちょっとあまり良い作品を作れてなかった。 原因としては色々あると思うけど一つには一年前くらいから「このままの完成のさせ方で向こう10年の発展が望めるのだろうか?」とか考えてしまっていたことだ。 いつかまた別の機会に詳しく書こうと思っている

      • 日記「脇に穴の空いたセーター」

        1. 脇に穴の空いたセーターを着て、いた、そのせいで仕事中に上着が脱げなかった。 今季一番の冷え込みのなか脇に穴の空いたセーターを着て、歩いて、いた。 脇に穴の空いたセーターの、セーターの脇に空いた穴から、寒空の冷たい青白い空気が滑り込んで、きた。冷たい青い空の、空の寒気が。 脇に穴の空いたセーターは海のような色をして、いる。黒いTシャツがのぞく脇の穴は深海10000メートルの、マリアナ海溝の色をして、いる。ワキアナ海溝の色をして、いる。 ブッダは脇から生まれてきたと

        • 日記「独裁者になったら」

          今日も今日とて仕事だったから取り立てて書くこともないのだけれどなにかなかったかと思いを巡らせてみれば、たとえば季節について。 鼻腔を通過しても暖まりきらない空気にやっと冬の到来したのを感じた。顔の前に手で空間を作り、冷えた空気が直接肺に入らないようにしよう。 * 僕はよく思うことがあって、それはあらゆる人が詩を書く世の中になれば良いんじゃないか、ということ。言葉によって自分の場所を作ること。大学院時代に先輩がドゥルーズのリトルネロを援用して自分の作品のコンセプトを説明して

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          日記「詩、X」

          昨日届いた大岡 信編『現代詩の鑑賞101』(新書館、1998)を出勤の電車の中で読む。 しばらく読んで頭が疲れたのでXを開く。そこで酷く実感したがXには意味のある言葉で溢れている。140字?という字数制限が、ある意味ではひとつの意見、意味を表明するにはあまりにもちょうど良過ぎる長さなのだろう。 一方で、意味を打ち消すための詩性をその文に帯びさせるには短すぎるのだとも思う。 ベンヤミンのいう言語の道具的使用を思い出す。それは水平方向に意味を伝達する言語の用法である。この日記

          日記「詩、X」

          日記「制作中の音楽」

          今日は県知事選挙の投票に行き、靴を買い、絵を描いた。 いつも3〜5曲くらいを延々とリピートでかけながら絵を描いている。ランダムで流していると新しい音楽を聴くことに集中が持っていかれて流れが中断されてしまうので、ぐるぐると同じグループを繰り返すのが性に合っている。 今日は無性にSMAPの「SHAKE」を聴きたくなったのだがこれがやはりサブスクには存在せず、どうしようかと思った結果、「SHAKE」の作曲家である小森田実氏の曲である「恋する瞳」をかけていた。 この曲は「SHAK

          日記「制作中の音楽」

          日記「ジャワティー、マルコポーロ」

          最近ジャワティーレッドにはまっている。ジャワティーホワイトなるものもあるらしいが見たことがない。今日の朝も仕事に行く途中、駅の自販機で買ってしまった。 紅茶よりもどちらかというと緑茶、中国茶派なのだけど、ジャワティーは美味しい。 ジャワティーともう一つ、僕がそらで当てることの出来るというか利き茶できる紅茶があって、それがマリアージュフレールのマルコ・ポーロという紅茶だ。かなり特徴的だから誰しもが飲めば忘れない味ではあるのだけど。 以前、ある人に「頂いた紅茶なんですけど、利

          日記「ジャワティー、マルコポーロ」

          日記「飯田善國展」

          今日は足利市立美術館の飯田善國展の内覧会に行った。 飯田は足利市に生まれ東京芸大を卒業したというから僕と経歴的には近いものがあるし、文章もよくし、モダニズムの洗礼をうけた色彩と形式によるその作品にも、勝手に先達としてお手本の一人と捉えている。 何か気の利いたことでも書ければいいと思って日記に着手したが、そのあと自分の絵の制作をしていたら飯田善國展で感じたことがはるか彼方に飛んでいってしまった。遠方を望みつつ微かな色点になってしまったその印象を思い出せば、目黒川を描いた夜の油

          日記「飯田善國展」

          日記「ゲーム」

          今日は一日仕事をした後にがっつりゲームをしてしまった。 今やっているのは《ドラゴンエイジ:ヴェイルの守護者》と、《RED DEAD REDEMPTION 2》。 僕は昔からテレビゲームが好きで、叔父さんと一緒にやったスーパーマリオワールドから始まり、スーパーテトリス2+ボンブリス(これはリマスターが昨日あたり発売したはず。嬉しすぎる)を家族でやり、それから小学校低学年でPS1を買ってもらってクラッシュバンディクー、チョロQ、ペプシマン、クレイマンクレイマンなどなど思い出深い

          日記「ゲーム」

          日記「蕎麦とつけ麺」

          今日は蕎麦を食べ、あとは大体アトリエにいて絵を描いていた。 それはそうと蕎麦。その美味しさに今日いたく感動してしまった。もう何度も行っている店だし前から美味すぎる〜とは感じていたのに、今日の蕎麦のインパクトはなにか突き抜けたものがあった。 まず一つ目の理由として考えられるのは新そばだったこと。単純に風味がよく、久しぶりなことも相まって衝撃が大きかった。 そしてもう一つ。こちらの理由の方が割合が大きい気がするが、ここのところつけ麺をよく食べていたことだ。最近流行っている淡麗

          日記「蕎麦とつけ麺」

          日記「日記」

          僕の住む街では先日橋の架け替え工事が始まり、しばらくは見慣れた風景がクレーンやショベルカーと共にあることになろうが、いよいよ本格的な土木作業に移った現場の只中を歩いて駅まで向かえば規模の大きさ、その迫力に案外工事中であるのも悪くないと思えた。 この時間に出勤するときはいつも途中乗り換えの駅で25分ほど待つ時間が生じ、これが真夏や真冬だと甚だ骨身にこたえるのだがこの頃はまるで自分の体温が外界へと緩やかに浸出していくような心地よさの日和である。 しかし陽光は眩しい。むかし買った

          日記「日記」

          日記「ピンク」

          きょうは大体の時間アトリエにいた。 ピンク色を少しだけ作品に使った。 大学生のころモグリで聴講した建築の授業で、教授がピンクについて語っていたことを思い出す。曰く、ピンクというのは特別な色である、と。 たとえば青を薄めて水色にする。そのとき色の持つ性質はさして変わらない。どちらの色も水や空、冷たさ、爽やかさのイメージに結びついている。あるいは緑を薄めて若草色や黄緑にしても話は同じで、そう大きくは性質は変わらないだろう。しかし、赤を薄めてピンクにしたときだけ、完全に性質が変わ

          日記「ピンク」

          日記「道の駅の鳥と天使」

          那須から帰る。 帰路、途中で寄った道の駅には立体作品が多数置いてあった。工芸品を売っている建物もあり、那須という土地のものを作る人間の多さを感じる。 とり。違和感のあるとりだ。おそらく羽のついている位置が高すぎる。羽は人間で言えば腕に相当するのだと思うが、だとすれば胸の筋肉から指までの繋がりを表現しないとにせものの羽の飾りをコスプレでつけた犬のような形になってしまう。 人の造形物にケチをつけるなんて意地の悪いことをしているヒマがあれば、逆に羽のつき方に違和感があることで

          日記「道の駅の鳥と天使」

          日記「茶臼岳、暴君」

          今日は那須にある茶臼岳に登った。 標高は1915mで、9号目くらいまでロープウェイでいけるため、その労力にくらべて不釣り合いなほどの絶景を見ることができる。 山に登頂したのは、近所の小さい山を除けば去年初めて登った富士山以来だ。ふだんブーメランの練習くらいでしか運動をしないので、割とお気軽なコースとはいえなかなか体力を使った。 サングラスをしていたので基準が若干赤に寄っていたが、それでも、粘土質の土や玄武岩、安山岩などの色彩は思いの外彩りが多様で歩いていて飽きなかった。

          日記「茶臼岳、暴君」

          日記「廃墟、寝落ち」

          いつもとはちがう裏道を通って駅まで歩いて行く。目的地に着くまでに三軒ほど廃屋を見かけた。 そういえば僕の原体験のひとつとして間違いなく廃墟の経験というものがあるはずだったが、不思議なほどこれまでそれについて考えてこなかった気がする。 仕事に向かう電車の中では田中純『磯崎新論』(講談社、2024)を読む。 よく知られているように、磯崎は「未来都市は廃墟そのものである」と書く。未来都市も廃墟も、どちらも日常の現在という時から切り離された風景であり、そしてまた廃墟化も都市の発展も

          日記「廃墟、寝落ち」

          日記「塩サウナ、蝶」

          あさ最寄駅から徒歩で職場に向かう途中、強風に抗い地面にしがみついている蝶々がいた。人間である僕でもふらついてしまう風に、この薄い羽しかもたずほとんど重さのない生き物がその場に留まっていること、その不自然さに大変な力強さを見る。 何の蝶だろうか、アオスジアゲハかな。 案外アオスジアゲハは街中に飛んでいるが、そのターコイズブルーを見かけるという経験はその度に常に一回きりのささやかな色彩の感動をもたらしてくれる。街にはあまり無い色、木々の緑と空の青との間のような色。それから夜のよ

          日記「塩サウナ、蝶」