弟が海上自衛隊の人になったので平和について考えてみる
正確には防衛大学校という学校を卒業し、その後広島県の江田島というところにある学校に行き、卒業式の午後、そのまま船に乗って出港して行った。
弟のことは在学中、SNSなどにアップすることをしなかった。まず、卒業できると思っていなかった。次に俗に「小田原刑務所」とも呼ばれる防衛大学校や「赤鬼と青鬼がいて、少しでも乱れていると台風の如く指導を浴びせる」と言われる海上自衛隊幹部幹部候補生学校みたいな場所で、私の発信した内容が、いつ、どのように切り取られて、弟とその仲間の「ベッドやロッカーがひっくり返される」=指導されるのか、予想ができなかった。
今後も、過去に撮り溜めていた学園祭での訓練などの動画を更新したのちは、弟が在籍する限り、一般に公開されてるスケジュールなどについてしか言及しないと思う。(ちなみに今は遠洋練習航海なるものに出ていて、次帰ってくるのは11月頃らしい。)
それでも今回書いてみようと思った理由がある。まず、私のように、日本の自衛隊、そして国防というものにほとんど興味関心を持ってこなかった人というのは、特に平成生まれ以降、少なくないだろう。
もはや昨今だと「推し」を通して、国民男性の義務となっている韓国の兵役についてのほうが詳しく知っているという人も多いかもしれない。
そして、上記の一文を読んでカチンとくるくらい、日本の自衛隊や国防に強い思い入れがある人ももちろんたくさんいるだろう。
事実、先日TikTokに江田島での卒業式の様子をアップすると「これからの日本をどうぞよろしくお願いします!」というコメントをはじめ「大日本帝国万歳!」みたいなものもあれば「家族が戦争に行くってどういう気持ちですか?」や「彼氏が自衛隊?で同じところ行くらしいんですけど、本当に連絡取れないんですか><寂しい辛い〜ぴえん」なんてコメントも結構あった。
そしてそんな中「自衛隊になりたい高校生」のようなユーザー名の子達が、コメントはせずとも、そっと動画にいいねしたり、再投稿しているのも見受けられた。
人材不足対策のための広報の強化が喫緊の課題となっている自衛隊は、SNSで広報活動に力を入れているようだ。また、自衛隊には多くのファンがいて、その方々の熱心な発信も目に入る。
一方で、そのある種特殊な熱量・階級社会ゆえの小難しい漢字の羅列・発信する前に十分に精査されであろう堅苦しい情報には、一見してわかるくらいの特徴がある。また、私のようなごく一般的な日本人が各種SNSのアルゴリズムによって触れがちな「ネット上を走り回る街宣車」の如く、対話というよりも一方的かつ攻撃的とも取れる発信には、瞬発的な拒否反応が出る人も多いのではないだろうか。
そこで今回は、日本の自衛隊、すなわち国防というものに強い関心を持ってこなかった私が、弟の進路によって、自衛隊、防衛大学校、そして「国防」というものに触れてきた話を書いてみようと思う。
ただ、これはやはり私の手記であるので、団体や弟の思想とは切り離されたものであり、個人的なエッセイになることをご了承いただきたい。スタンスとしては「江田島に行っていつ連絡が取れるかわからない彼氏を想いながら泣く夜に読む」くらいの温度感で読んでほしい。
10歳離れた弟
私達は4人きょうだいで、私が長女で下に弟が3人いる。10歳離れている一番下の弟とはほとんど喧嘩をしたした覚えがない。今年の4月、探偵ナイトスクープに「10歳年下の妹をずっと赤ちゃん扱いしてしまうお兄さん」が出ていたけど、とってもよく気持ちがわかる。弟が中学生になる頃、私はすでに社会人。親が忙しくしていた我が家では、すでに車の免許も取得していた私が弟の諸々の送迎をすることも多かった。高校に進学すると、担任と副担任がなんとどちらも私の同級生。「先生、二者面談すごいやりにくそうにしてたわ〜」と弟から聞いたけど、確かに友人の弟と二者面談はやりにくいだろうなと思った。
弟も3人もいれば性格は全然違うわけで、中でも一番下の弟(以下弟3)は、年齢の割にかなり大人な印象が姉の私から見てもあった。服もファッションが好きな弟2のお下がりを基本着ていたので、文化祭だとか体育祭の打ち上げ、いわゆる学生時代の貴重な私服お披露目イベントから帰ってくると「なんか私服お洒落だねって言われたわ」とあまり表情を変えずに話していた。ゲームよりは映画、特に洋画が好きで、あまりにもいつも映画を観ているので「小学生の映画感想ブログとか書いたら?」と薦めたこともあった。
その一方で弟3は、ずっと「将来の夢がない」とぼやいていた。「お姉ちゃんはさ、どうやってやりたいことを見つけてんの?」と頻繁に聞かれた覚えがあるので、結構悩んでいたのかもしれない。やりたいことだらけの私からすると、そのクールさが逆に羨ましくもあった。
防衛大学校との出会い
そんな弟が、高校1年生の夏前に「防衛大ってとこの学校見学に行ってみたい」と言い出した。特にそういう類の趣味や興味があったわけではない。理由はただひとつ。「そこ、お金稼ぎながら、大学行けるらしい。」
私は恥ずかしながら、この時点で防衛大学校がどういうところなのかほとんど知らなかったので、親心みたいな気持ちで、インターネットで検索してみる。とにかく「普通の大学」ではなさそうなことはすぐにわかった。「なんか普通じゃなさそう……」と言ってみたものの、弟はすでにある程度承知している感じだった。
そういえば、と、私の中学時代の同級生に、1人防衛大学校を卒業したらしい人がいたことを思い出す。進学後だったか、SNSのプロフィールの好きな歌の欄に「月月火水木金金」と追加したのがタイムラインに上がってきていて、地元の友達の間で小さな話題になっており、その後「なんか、軍隊行ったらしい」とだけ聞いていた。
唐突に「軍隊に行ったの?」なんてことを聞くほど親しくはないものの「弟が興味あるみたいで」くらいの連絡はとれる間柄だったので、早速連絡してみると、そこから1週間もしないうちに時間を作ってくれて、弟も一緒に3人でご飯を食べることになった。落ち着いたイタリアンレストランのランチタイムに久々に会った同級生は日焼けしていて、体格も良くなっていた。同級生は海上自衛隊員としてすでに舞鶴に配属になっていて、今は休暇中で滋賀に帰ってきていたので、タイミングよく時間が取れたとのことだった。
同級生の彼は、自分が卒業した年の防衛大学校の卒業アルバムを持ってきてくれて、防衛大学校がどういうところかを弟に教えてくれた。確かに学生生活は簡単ではないことと、やり甲斐はあるということ、そして国防という特殊性について、結構熱く教えてくれた。じっくり話を聞いている弟を横目に、私は食後のコーヒーをすすりながら「やっぱり普通ではなさそう」と思った。
学校見学
防衛大学校の学校見学は、高校1年生も参加できそうだったので、その夏、早速行ってみることにした。滋賀県から横須賀への学校見学となると日帰りでは少しせわしないので、横浜にホテルをとって、私が付き添いで行くことになった。
弟と2人で京都から新幹線に乗車中、ちょうどポケモンGOのアプリがリリースされて、車内でダウンロードしてみたら、移動スピードに合わせてものすごい勢いでポケモンが出現しては消えていき、弟と大興奮したのを覚えている。調べたら、2016年7月22日のことだった。
防衛大学校がある横須賀に行くには、新横浜で新幹線を降りた後、京急線に乗って馬堀海岸駅へ。そこからバスに乗って急な傾斜をどんどん登っていく。
横須賀の街は想像よりもはるかに遠かった。そんなに頻繁に行ったわけではないのに、港町らしく明るい色の、どこか海外のような、でも行くたびに「目的が無いと来ないな……」と感じる、記憶に強く残る場所だった。
正門前には赤・青・緑・黄のエンブレムが4つ並んでいた。これが、入学すると4年間所属する「大隊」のエンブレムらしかった。寮も大隊で分かれていて、ハリーポッターの世界だといえば伝わりやすいだろうか。寮によって、文化や雰囲気も違うらしい。
弟が入学後に所属することになった大隊は朝の集合場所から一番遠い寮で「ハリーポッターで例えるならスリザリンかも」と言っていたけど、真偽は誰か教えてください。
校内にはところどころにミサイルや飛行機のオブジェが配置されていた。
学校見学の様子もやはり普通のオープンキャンパスとは違っていて、制服を着た学生の皆さんが主体になって運営されていて、キリッとした印象を受けた。自由に回るような感じではなく、しっかりとしたスケジュールが組まれていたように思う。すでにこのタイミングから団体行動だった。
私は、弟のことは任せて、構内を散歩した記憶がある。構内にはコンビニもあって、オープンキャンパスの運営には関わっていない学生達が制服なり作業着なりで買い物をしにきていた。端まで行くと海が見えた。大きく窪んだ横須賀の海の先に、散策する暇も無かった都市ヨコハマが見えて「せっかく都会に来たのになあ」と少し切なくなった。
学校見学後、割と満足そうな弟を連れて滋賀に帰ったのだが、普通じゃ無さそうな流れは更に続いた。学校見学から1週間経ったくらいだろうか、弟が「滋賀の自衛隊の人から連絡が来た」と言うのだ。大体のことを「普通じゃないけどまあそういう事もあるか」と受け流してきた私でも流石にギョッとする。連絡が来る?なんで?
家に電話がかかってきたのか、直接弟の携帯に連絡があったのかは覚えていないけど、とりあえず弟に連絡があったらしく「なんか、防大受けるならサポートしてくれるらしい」と言っていた。
流石に少し怖い気がした私は、一応両親や学校の先生の耳に入れた方がいいことと、おかしいと思ったらブロックしなよ、という話をしたのだが、そんな疑惑の目を持ったのが申し訳ないくらい、本当に色々とサポートを尽くしてくださったようだった。
おそらく連絡をくださったのは、自衛隊滋賀地方協力本部の広報官の方なのかなと思う。防衛大学校の入試、正確には採用試験を受けるためには一般的な高校の普通科の授業では対策が足りず、首都圏だと専門の予備校もあるようだ。滋賀県にはなかったので、自衛隊の方々が、直々に希望者の面倒を見てくださってたようだ。定期的に連絡をくださり、滋賀県での防大希望者のみならず、時々関西一円の希望者で集まって面接の練習なんかもしていたように思う。だから、もし受験したいと思うなら、学校見学は行ってみた方がいいと思う。(行けない人も、お住まいの自衛隊地方協力本部にコンタクトを取ると色々と教えてもらえるようなのでご確認されてみてください)
そして、この辺りから、防衛大学校に進学するというのが、一体どういうことなのか、すなわち、在学しながらお給料が発生するということがどういうことなのか、そして、なぜそれが税金で賄われるのかを、私も少しずつ理解していった気がする。
受験準備中にどんなことを学んだのかについてはあまり聞かなかったが、1つだけ覚えている事がある。人命救助と国防を天秤にかけられた時、この道に進むのであれば、国防を選ばなければならない、という話だった。面接などで聞かれるらしい。自衛隊には人命救助の印象が強かった私にとってこの話はかなり記憶に残っていて、この時は「やっぱり普通じゃない」と思った。
私の上京と弟の受験
翌年、私は、仕事の都合で東京への引越しが決まった。
弟とは離れ離れになったが、高校2年生になっていた弟はすでにある程度自分のことは自分でできるようにもなっていたし、先述の本部の方のサポートなどもあり、私の上京後も本人は滋賀県で淡々と準備を進めたようだった。
その後手伝いをしたのは、防衛大学校での二次試験の受験に来た時だけだった。
2日試験があると聞いていて、2日に分けての試験かと思ったら「1泊2日の泊まり込みの試験」だと聞いて、改めて「普通じゃない」と思った。
私は受験に失敗しているけれど、これはもしかしたら弟に受験運を分け与えるためだったのかもしれない。いや、お姉ちゃんをみて、ああはなりたくないと思ったのかもしれない。どちらにせよ、合格したと聞いた時は、正直喜びより驚きの方が大きかったように思う。あまり実態を掴めないまま、弟は晴れて防衛大学校の入学生となった。
確か、入学前に在住市の市長に招かれて表敬訪問していた気がする。
入校式
入校当日、朝の集合時間が早いので、横須賀のホテルに部屋をとって前乗り。この時も私が同行した。
防大近くにはホテルがほとんどないため、この日のホテルの宿泊客は、弟と同じく入校予定の子達がほとんどだった。
皆すでに規程の坊主頭にしてきているのですぐに分かったし、なんなら夜や朝はホテルのロビーに坊主頭の子達が集まって、既に色々と会話を交わしていた。
今では野球部も髪型は自由なところが多いと聞くが、そんな世界とは違う世界線。
朝の集合時間が早かったので、ホテルの部屋から見送りした。
在学中
入学してからのことは、実は怖くてこちらからはあまり聞くことをしなかった。
スマートフォンは自由に触れないということは事前に聞いていたことと、調べると出てくる様々な噂から文字通りの刑務所を想像してしまい、送った内容も誰かにチェックされるのでは……?とか思ったりして、こちらから積極的に連絡することもなかった。
そもそも、無理だと思ったら弟は迷わずやめると思っていたので、だからこそ連絡を取らなかった。家族も皆同じように思っていたと思う。
ただ、この頃からお母さんが家族のLINEグループに「愛するみんなおはよう」と毎朝、誰宛でもない、返事を求めるでもない挨拶を送ってくるようになった。今でもずっと続いている。
いつも唐突な連絡
弟が在学中、時々急に「お姉ちゃん、明日暇?」みたいな連絡が来ることがあった。
東京で暮らす社会人の明日がそうそう暇なわけは無いのだが、外出日数が制限されている弟と会える機会は貴重なので、できるだけ時間を作って会うようにしていた。待ち合わせでは、外出用の制服を着ていることも多く、遠くからもよく目立った。(ただし横須賀に近づくにつれてこの制服姿が増えるので、見分けがつかなくなる。)
会った時は、普段やり取りしていない分、色々と聞いてみたりした。まあ大体の実態は皆がよく聞く内容に近いと思うし、最近は改善された、と言うのも正しそうだ。
印象的なエピソードが2つある。
一つは「カッター競技会という大会の準備期間中、メンバーに立候補したい女子学生が、体重を10kg増やして挑んだけれど、メンバーに選抜されなくて、悔しそうだった」話。世の中でジェンダーに関する議論が白熱して久しいが、なまじ本気の体力勝負の舞台でジェンダーギャップに挑む女性達の凄みやリアルさは、下記の本がよくわかる気がする。(序文、筆者による女性性に対する認識は、若干現代のそれと相違しているようにも感じたが、インタビュー内容に入っていくと、なぜその違いを意識せざるを得ないのかが、女性側から語られていて、読み応えがある)
もう一つは「先輩の好みのドレッシングを大体把握している」話。食堂では下級生が都度席替えになり、その都度、一緒になる上級生の好みのドレッシングを、ビーチフラッグスのように下級生が取り合うらしい。ゴマドレッシングが一番人気と聞いて、やっぱりゴマドレッシングはいいよな、と思った。
コロナ禍
ただ、流石にコロナ禍ではそうもいかなかなった。
週刊誌やネットに「コロナ禍での防衛大学校の実態!」みたいな記事がたくさんでた時期があって、弟の進路を知る友人達からも「弟くん、大丈夫?」と連絡がきた。流石にその時は「生きてる?大丈夫?」と確認を入れたりした。すぐには返事はなかったが、一定の期間を空けてでも「生きてるで」と返ってきたのは有り難かった。報道の真偽に関わらず、当時正体不明だったコロナウイルスの時期を、密と規律の中で過ごすのは相当な精神力が必要だっただろう。
成人式を迎える頃にはだいぶ状況は良くなっていたものの、第何波だったかが重なり、外出予定日直前で学校から外出制限がかかってしまい、出席が叶わなかった。覚悟はしていただろうが、地元に友人も多い弟は静かに悔しそうにしていた。
防衛大学校の学祭
防衛大学校に弟が通っていた4年間の間に、2回、学園祭である「開校祭」にも行ってみた。
防衛大学校の学祭は、ミリタリー好きの方には結構有名なイベントらしく、バズーカみたいな望遠レンズを抱えた人がたくさんいたのが印象的だった。普段はなかなか見られない訓練や展示が楽しめたり、イベントも多いので、峠を登るのが苦じゃなければ、行ってみるといいと思う。
面白いのが、普段幽閉されていると言っても過言ではない防大生達の貴重な出会いの場にもなっているようだった。
開校祭では4つの寮も一般向けに解放される。入り口にはそれぞれが工夫を凝らした展示物を制作していて、ビジュアルがイケてる子は等身大パネルになったりしていた。(過去の写真を見返していたらまんまと引き寄せられて写真を撮っていた)
「焼きそば売ってます」みたいなノリで「じゃんけんやってます」と書かれたプラカードを持ち歩いている学生にじゃんけんを挑まれ、勝ったら相手の連絡先を渡されたりする、多少強引なお誘いもあったので(多分負けても渡されるんだと思う)あまり積極的になれない人でも、出会いが欲しいなら行ってみるといいと思う。
国防男子コンテストなるものもあって、これは制服マニアにおすすめしたい。
とにかく、何やら卒業式の夜に、舞踏会があるようで、お相手がいないとお母さんと踊ることになるらしいと聞き、そりゃ必死になるね……と思った。(実際には舞踏会を主催する防大の社交ダンス委員会がお相手を見つけて来てくれるらしい)
初めて学祭に行った1年目は、訓練の観戦を弟が予約してくれていた。よくわからないまま案内された席に着くと、向こうのほうからガチの戦車とヘリコプターがやってきて、一緒にいた友達とあんぐりしていた。
4年目の学祭では、棒倒しの観戦をした。
棒倒しは防衛大学校の伝統的な競技で、学生たちがチームを組んで白熱した戦いを繰り広げる、らしい。一番の目玉、らしい。寮の中で決起集会、外出ても決起集会、そこから列になって運動場まで行進。
運動場には、ガチのレスキューが待機していた。もうこの頃には「普通」の感覚が変わってきていていて「普通じゃない」とはあまり思わず「ここで発生するエネルギーを、何かしらの方法で電気とかに変えて地球環境のために活用できないのかな?」なんて思いながら観戦した。
防衛大学校卒業
改めて書くが、正直、本当に弟が卒業できるとは思っていなかった。実際、かなりの人数が「脱柵」することは、様々な記事、そして今は防大系インフルエンサーともいうべきか、そういう人たちがたくさん発信されてると思う。
卒業式はコロナの影響で参列に人数制限があり、両親のみが参列することになっていたが、旅行気分で私と弟2がついていった。
お父さんが慣れないビデオカメラで撮影した帽子投げの映像はピンボケしまくっていて何が何だかわからなかったので(可愛いね)、翌日外出届を出した弟3も含めた家族旅行(曇天の山下公園)の写真をあげておく。
江田島への入学と卒業
弟は入学直後くらいから海上自衛隊を入学の少し後から希望していて、希望通り進んだ。よって防大卒業後は江田島の海上自衛隊幹部候補生学校に行くことになった。入学式もあったが、私は入場者登録が済んでなくて行けず(これはたぶん弟からの連絡が遅かったせいだった気がする)卒業式だけ一緒に行った。
正直、ま〜じで遠かった。横須賀よりも遠かったし、横須賀よりも「もう来ることなさそう!!!」と強く思った。広島ってこんなに広いのかと思った。車ごと船に乗って行った。船の料金回収のお爺さんが優しかった。
すでにアフターコロナ時代に入って久しく、人数制限のあった防大の卒業式の時とは違い、たくさんのご家族が見えていた。着物を着ている人もいた。普段は入れないエリア内に記念撮影スポットがあったりして、結構並んだ。
そんな中、10時近くになると、学生たちがソワソワし始める。国旗掲揚の時間らしい。何分か前からそちらを向く。館内放送があったのち、国旗が掲揚される間、皆敬礼。それまで和気藹々としていた雰囲気が、一気にヒリつく。
一緒に江田島入りしていた弟2は、結構クレイジーな奴なので、この静まり返った空気の変化に興奮して「なあ、俺がここで日本万歳!!とか大きな声出したらどうなる……!?」と目をキラキラさせて弟3に聞いていた。
私はこの質問が、冒頭でも紹介した「家族が戦争に行くってどんな気持ちですか?」というコメントに本質が似ていると思った。
ゆとり世代とかミレニアル世代、Z世代とか呼ばれる世代の大多数は、シンプルに、これが気になっていると思う。どう答えるのか気になって私も弟3の返答に耳を傾けた。
弟3は苦笑しながら「そういう、考え方に少し偏りがある人やと判断されるかな。」と答えていた。少し答え慣れてる感じもあった。
弟2や、TikTokに寄せられたコメントほどストレートではないだろうけど、自衛隊を取り巻く状況が大きく変わって来ている今、同じような質問を、家族、友人、知人、そして周りの「様々な大人」に都度、されてきたのだろう。そして自問自答もしてきたのだろう。その結果、今、江田島に残っている本人たちが、一番客観的に、そして冷静に、自分達を取り巻いている状況や物事を踏まえた上で、任務や職務の目的を、はっきりと捉えているのではないかと思った。
私は先述の通り、自衛隊や国防に対してあまり自分で調べることをしてこなかったので、アルゴリズムに乗りやすい情報に触れ、その激昂しがちな感情に拒否感を覚えてきた。弟が防衛大学校に進むということは、同じように、他国に対して排他的で否定的になるのだと、どこかでと思っていたところがあった。だからこそ在学中にあまり詳しいことを聞かなかった。聞けなかったのだ。 でも「国防」という考え方は、そんな独りよがりな話ではないようだと、この頃には思っていた。
卒業式の後、卒業式の行進を経て、弟達は船に乗って行った。周りには泣いている人もいた。
「何も無かった」国防が変わる音がする
私は、弟を誇りに思う。ただ、これは弟が国防という崇高な任務を・・・という話ではなくて、自分で進む道を選んでいるという点でだ。その選択に至るにあたり、葛藤も迷いもあったであろうことは、姉として知っているつもりでいる。ただただ、この状況で「選択し続ける」ということがすごいと思う。
その上で本人が選択する以上、今後も止めたりすることはないと思う。弟は、自分で考えられる子だし、自分に足りないと思えば周りに相談できることを知っている。
一方で、家族としては、流石に心配が多いのも事実だ。事実、連日ニュースになっている、飛行訓練での不時着などのニュースを見ては、詳細を検索するクセがついた。なぜ検索するのか。本人とはすぐには連絡がつかないことがほとんどだからだ。
そして、最近陸上自衛隊広報チャンネルが出した、自衛隊員の家族向けの動画最後にも、この文言がある。
最近では、北朝鮮からのミサイルが日本に飛んでくる可能性がある場合の警報「Jアラート」に慣れてしまい、気にならなくなった、という人も多いと思うが、実際この警報の裏で、警報が発されるに至らないまでも、どれだけの人達が日々「気にならなくなる」ために国防に勤しんでいるのかは、私も、弟がこの進路を選ばなければ、気を向けなかったかもしれない。
「何も起きないこと」を求められるがゆえに国防費に対する厳しい意見が存在することを報道でもよく見る。それが、別に説明しなくても「国防費って必要だよね」という流れになるかもしれない状況は、幸か不幸か判断しづらい。
国防と世界平和は両立し得るか(個人的見解)
このnoteで誰かと議論するつもりも、結論も出すつもりはないけれど、平和(国内も、国際的にも)と国防は、両立し続けられるはずだと、個人的には思う。信じている。
そして、平和の維持に必要な要素は色々あると思うが、そのうちの一つが、確かに「知性」ではないだろうか。
想像しうることは起こりうる。想像のつかないことだって起こりうる。人間や組織というものは、想像を超えて優しくも、そして逆に狡猾にもなりうる。ポケモンでも「悪あがき」と言う技があるように、窮地に立たされるととんでもない判断をすることが、読んでくださっている方がある程度の人生経験のある大人だったら、様々な過去のご自身の体験を伴って、理解していただけると思う。
私は過去にも、優しさは弱さで、優しいだけでは時に搾取されるという考えを書いたことがある。やはり優しさだけでは、大切なものを守れないといけないと思う。かといって、強さだけでもダメだ。優しく強くあり続ける、すなわち自身が「平和」でい続けるためには、何かあったときに大切なものを守れる強さを持ち合わせなければいけないと思う。そしてその強さとは、独りよがりでなく、広い視野と見聞、そして日々の弛まぬ努力によって支えられる「しなやかな強さ」でなければいけないと思う。
一方で、実際に戦争を経験しているおばあちゃんなんかは、素直じゃない性格も相まって、弟への心配な気持ちが「お前は進路の選択を間違えた」なんて言葉になって出てくることがある。昔だと不敬罪みたいなものに問われるのだろうか。
私たちきょうだいは、忙しい両親に変わって私たち孫4人のことを大切に育ててくれたおばあちゃんの性格を知っているので、その度に「わ〜おばあちゃんまたそんなこと言うの!でもおばあちゃんの孫だから仕方ないねえ〜!!」と、頭をわしゃわしゃ撫でる。おばあちゃんも、私達に何を言っても、私達は自で選んだ道を進んでいくのを知っているし、私たちも大人になったのだ。
弟は、スマホの裏側におばあちゃんとの写真を挟んで、今日も海の上のどこかにいる。
最後
「まずは知ることが大切」というのは、何に関しても言えることだ。ここまで約10年、弟が私に見せてくれた景色が、TikTokにコメントをくれた自衛隊に彼氏がいる子達、そして、静かにいいねを押していった「自衛隊に興味のある若者」、はたまたこのnoteを目にしたあなたにとって、視野を広げて、知性、しなやかな強さを身につけるきっかけに少しでもなれたらいいなと思うし、なにより「今日も誰かの仕事で世界は回っている」の想像の幅が、少しでも広がるきっかけになればと思い、このnoteを置いておきます。