「誰かのせい」にするのは、そろそろやめよう【最強マニュアル16】
性的なものであれ精神的、身体的なものであれ、子供時代に受けたトラウマについて書かれたものが氾濫している。どんなにごまかしたところで、こうした本が送っているのは「あなたには責任がない」というメッセージであり、読者は安心する。
「自分の責任だ」と言われると読者は困惑するので、こうした本も一見したところは、筋が通っているように思える。あなたがわざと自分の足を引っ張ることはないのは確かなのだから、他の誰かのせいに決まっている、というわけだ。他の誰かが間違っているのだとあなたが主張したところで、誰もあなたに盾突くことはできない。
あなたは傷ついている。誰かのせいだ。あなたのせいではなく、「彼ら」のせいに違いない。あなたが自分自身を傷つけるはずがないではないか。
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この論法は常識的な考えに聞こえるかもしれないが、そうではない。あなたが大人であり、独立して生きていて、痴呆症や脳腫瘍など自分の意思に関係ない思考の混乱に苦しんでいるのでないなら、あなたは責任がある。
このことを心から受け入れるのが難しくても、そう感じるのはあなただけではない。私が治療した患者や、私がこれまでに開いたセミナーの参加者、私の肩に顔を埋めて泣いたり、私の助言を求めたりする友人たちの大部分が、異口同音に、自分の不幸を何か、あるいは誰かのせいにしていた。
しかし、あなたは目標を見失ってはいけない。どんなに恐ろしい、もしくはどんなに不愉快なことであっても、武器がほしいと心から思い、現実に適応したいと心から望んでいるなら、自分が望むようにではなく、ありのままに事実を話す、冷たく鋭い眼をした現実主義者にならなければならない。そうしないと、無駄骨を折り、見当違いの方向に解決策を求めることになるだろう。
問題は、他人を責めるのが人間の本質であることだ。責任を回避しようとするのは基本的な自衛本能だ。あなたは事態を招いたのが自分のせいであってほしくないので、自分のせいではない理由を説明できるものなら、どんな極端な理屈や弁解でも利用するだろう。人生の中でも感情にあふれた分野では、特にこのことが当てはまる。
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考えてほしい。離婚しようとしている人が、悲惨な結婚生活になったのはすべて、卑劣で不当で堕落した配偶者のせいだと言うのを、これまでに何度耳にしただろう? 怒りを覚えたり、心が傷ついたりすると、自分を守るのに必死で客観的ではいられなくなる。
かっとなって他の誰かを責めている時には、自分自身について冷静に判断することができない。自分の人生をコントロールしようと思うなら、誰かのせいにするのをやめることだ。責任を他に転嫁してはならない。そうしないと、勝者になるための努力が水の泡になる。
鍵をなくして、自分が家中を探し回っているところを想像してほしい。引き出しやポケットは一つ残らず中をのぞき、上から下まで家中くまなく調べる。あなたは徹底的に調べ、鍵探しの専門家に豹変する。
さてここで、実は、鍵は家の中ではなく、車のイグニションに差し込まれているとしよう。どんなに徹底的に、時間をかけて一生懸命調べても、家の中にはないのだから、鍵は当然見つからない。
これと同じように、自分の問題の原因を他の人に求めても、そこにはないのだから、絶対に見つからない。原因はあなたにあるのだから。
あなたが選んだことだ。
あなたがそう言ったのだ。
あなたが安すぎる値段で手を打ったからだ。
あなたが腹を立てたからだ。
あなたがこどもを欲しがったのだ。
あなたが自分をぞんざいに扱うからだ。
あなたがあのいまいましいイヌを欲しがったのだ。
あなたがあのバカを信じたのだ。
あなたがあの晩、後部座席に乗ったのだ。
あなたが彼を中に入れたのだ。
あなたが彼と結婚したのだ。
あなたがそれに傷を付けたのだ。
あなたが彼女を誘ったのだ。
あなたがそんな感情を抱くことを選んだのだ。
あなたが、自分にはそれだけの価値がないと判断したのだ。
あなたがやめたのだ。
あなたが彼らを戻ってこさせたのだ。
あなたが自分の夢を売ったからだ。
あなたがその仕事を選んだのだ。
あなたが、自分をぞんざいに扱うのを彼らに許したのだ。
あなたが引っ越しを望んだのだ。
あなたがそれを冷蔵庫に置いたままにしたのだ。
あなたが、この忌々しいものを買ってきたのだ。
あなたがそれを食べたのだ。
あなたが説得されるがままになっていたからだ。
あなたが彼女に聞いたのだ。
あなたが彼を信じたのだ。
私は独断的でくどいが、それはひとえに、こうした態度があなたを非常に強い力で縛ることを知っているからだ。この法則を受け入れて認めれば、自分にとっての最高の「処世術」だったものを奪われることになるかもしれない。そんなことを強制するのは残酷で不当だと思うなら、この法則の要点を理解する必要がある。
私は、あなたが責められるべきだと言っているのではない。私は、あなたが「原因である」という意味で、あなたには責任があると言っているのだ。「責められるべき」というのと「原因である」というのとでは、きわめて大きな違いがある。責められて当たり前なのは、わざとそのような行動をとったり、向こう見ずに結果を無視したりしていた場合だ。
いっぽう、「原因である」というのは、あなたにコントロールできるという意味にすぎない。「責任がある」と「原因である」という言葉には、故意や不注意という意味はない。結果につながる行為はすべて、あなたがしたことか、されたことだという意味だ。
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『史上最強の人生戦略マニュアル』
きこ書房