【1】シベリア抑留記〜 記
シベリア抑留記 「帰国は近い」
都築 賢策
記
昭和22年6月28日、引揚船山澄丸は舞鶴に入港、復員手続を終了したが健康診断の結果、急性肺炎の故をもって国立京都病院に転送の身となる。
復員支給金300円も数日の間に使い果たし、帰郷のこころ逸るままに希望退院し、収むるものとて乏しく軽かるべき背負袋も栄養失調の身には重く、ややもすれば倒れんとするをみづから慰りつつ一路夢に画きしなつかしの故里へ・・・
7月9日漸く敷居をまたぐ。
噫々しかし、喜び対面できるものと予期した母は そして父もまた黄泉の客となっていた。
春月明久 居士
俗名 久次郎 昭和22年2月26日没 (享年74歳)
花月妙春大姉
俗名 ハナ 昭和21年2月27日没 (享年69歳)
ソビエトの捕虜としてシベリヤに抑留され、その極東軍の監視下で強制労働から解放され祖国の土をふんだ喜びも半減した感がある・・・
謹んで墓前に帰還を報ず。
抑留生活のそれは、きのうの出来ごとの如く深く脳裏に刻まれてその一駒々々はわが再出発の心のかてとなるだろう。
幸いにして肉親の愛情に甘え、栄養失調の身をいやしつつ、文字書く術も忘れ文また態をなきされども、悪夢の跡を記録に止めんとす。
昭和22年7月11日 起
賢策 (満28歳)
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