![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161765278/rectangle_large_type_2_7f5de69d580b5d837b29cf2abcf8e935.png?width=1200)
レ・ミゼラブル 本とミュージカル(1)
先々週、ロンドンで「レ・ミゼラブル」のミュージカルを観た。三度目。
このミュージカルと、ヴィクトル・ユーゴーによる原作の日本語訳について何回かに分けて書いてみたいと思う。
ロンドンのミュージカルを最初に観たのは2001ー2005年頃だろうか。国際機関のフィールド勤務でロンドンとは全然違う環境で普段は生活していた時。何かの用事でロンドンに行く機会があったんだと思う。一人だった。
二度目は2019年の4月。すでにオランダで生活していた。まだ国際機関勤務で、その傍ら「本当に自分らしい世の中への貢献ができる仕事」探しをし始めた頃。そのために、とある研修を受けにロンドンに一週間ほど行ったのだった。オランダの家には娘とパートナーが待っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1731618802-fu2URa0IkNYiOM1qZt5sxA7H.jpg?width=1200)
三度目はあれから五年半後の先々週。もう国際機関には勤めていないし、大変ありがたいことに、「これをもっと極めて、これを通して世の中に貢献していきたい」と思う仕事をすることが叶っている。そして、今回は13歳の娘と一緒。実はこのミュージカルをぜひ娘に見せたい!という気持ちが三度目に観に来た理由だった。「女子旅行」なのでパートナーはオランダの家で留守番。
そもそも、なぜ「レ・ミゼラブル」?
小学1、2年生の頃だと思う。「ああ無情」の本を持っていた。子供向けの本だから、短くて、漢字にはすべてひらがながふってある、縦書きの本。ジャン・バルジャンが司祭から銀の燭台も持って行きなさい、と言われ、後にその燭台を手に首を垂れて神、あるいは司祭に向かって祈っている、あるいは自分に向かって問いかけている、そんな姿の挿絵があった。
その挿絵が今でも脳裏に焼き付いている。母の面影といっしょに。
母が司祭の「慈悲深さ」について、彼女ならではの独特の語りで感動的に話をしてくれた。だから、上の挿絵と母の語りがいつも一緒に思い出される。私にとって「慈悲深さ」という価値観のおそらく土台になっているのが「ああ無情」のこのシーンであり、母の語りだと思う。
母は2016年の末に亡くなった。
不思議なことに、母が亡くなった後にこそ、二度目と三度目のミュージカル鑑賞で、母をより近くに感じるようになっている。子供の時に見て脳裏に焼き付いた挿絵と母の語りかけが、心苦しいくらいに懐かしく思い出される。
レ・ミゼラブルと母の思い出とのつながりに気づいたのは、すでに母亡き後、二回目の鑑賞をした時だったと思う。泊まっていたホテルから劇場に歩いて行きながら、また鑑賞後に歩いて戻りながら、しみじみとした気持ちになった。どうしてこんなしんみりと、そして懐かしい気持ちになるのかなあ、と思い・・・あ、そうだ。あの、「ああ無情」の本、挿絵、お母さん・・・。
ミュージカルそのものは素晴らしく、二回目の時はいわゆるパンフレットとオリジナルキャスト録音によるCDを購入。「Star」や「Do You Hear The People Sing?」など、今では大好きな曲だ。
あれから五年がたった今年の夏の終わり、突然に湧いて出たアイデア。オランダに学校の秋休みである10月末に、ロンドンに一緒に行って娘にこのミュージカルを見せたい。
なぜこの考えが浮かんできたのか。
夏休みが終わる直前の8月末には、「あ〜、もうすぐ(大学の)仕事に戻るんだ・・・大丈夫かな、私?」という気持ちがあった。何せ、夏前にバーンアウトを経験している。そこで、ひと踏ん張りした後の10月末の一週間の休みに何か「楽しみ」を取っておくことで、それに向かって何とか頑張れるかも、という気持ちがあったに違いない。
そして、娘は(そして私も)ロンドンが好きだ。娘はお友達の家族と7月に数日行ったけれども私は五年半ぶりだ(確か)。娘と一緒に行ったのは実に七年前。あの時は「マンマ・ミーア!」のミュージカルを観て家族みんなで楽しんで、その後オランダに戻ってまでオランダ語での同じミュージカルを観たりしたんだった。一緒にロンドンの街を歩いたり、大きな本屋に入り浸ったり、スコーンを食べたりもしたいな・・・楽しそう!そんな気持ちで、ユーロスターや宿の予約をした。
レ・ミゼラブルのミュージカルは、奮発して前から三番目の席を取った。せっかくなら、大迫力のミュージカルを娘に見せたい!
同時に、ヴィクトル・ユーゴーによる原作の日本語訳を読もうと決めて注文した。届いたのは九月の初めで(最近は注文したら数日以内には届く。カーボンフットプリント(二酸化炭素排出の足跡)を考えると全くよろしくないことなのだけど、年に一回くらい、本当に必要だったり欲しかったりする本がある時だけの贅沢にしている)、ミュージカル鑑賞までは約二ヶ月ある計算だった。それまでに読み終えられるといいなあ、と思いながら新しい本の匂いのするページを開いていった。
なので、「レ・ミゼラブル」は積読していたわけではない。なぜ今更(?)読もうと思ったんだろう。夏に「カラマーゾフの兄弟」を読んだことが絶対に影響していたと思う。今更かもしれないけれど、こういう大作を読まずにこれからも生きていくのか?ほんとにそれでいいのか?という・・・。
![](https://assets.st-note.com/img/1731619946-1YUmlMGFXDCNth86xIv9kw0d.jpg?width=1200)