オランダはデン・ハーグから
その昔、「ザ・ヘイグ(The Hague)で仕事している、なんて言えるようになったらかっこいい!」と言っていた友人がいました。もう二十五年以上前のこと。イギリスで人権の勉強をしていた頃のことです。
オランダ語で Den Haag ('s-Gravenhage) というこの街には、国際司法裁判所をはじめとして幾つかの国際司法機関があり(当時はなかった国際刑事裁判所も)、国際人権を勉強している学生にとってはある意味で憧れの場所だったのでしょう。
友人が何かのきっかけでそう言うのを、私自身は「へ〜そうなんだ…」とぼんやりと脇で聞いていました。その頃の私にとっては、とにかく目先の勉強が大変で、オランダはおろか、国際機関で人権に関わる仕事に就くといったことはまったく実現可能なことに思えなかった、というよりも、そのようなことは思い及びもしなかったのです。
時はめぐり、それから約五年後には国際機関での人権に関わる仕事に就いている私がいました。またその八年後に、国際法の勉強をしたいと私が選んだのはオランダの大学院でした。一年半の滞在をへて仕事に戻り、そのまた三年半後に、改めてオランダに戻ってきました。そのままここに住んでいるというわけです。
友人の言葉をぼんやりと聞いていた時からすでに二十五年以上をへて、ここに住んですでに七年。この間、四年半を国際機関に勤務して辞職。辞職の意向を上司に告げたすぐ後に私の視界に飛び込んできてくれたのが、今三年目になる「応用科学大学」での講師の仕事でした。
国際機関に勤めている間に出会った、コーチングとファシリテーションで個人事業主としても仕事しています。実のところ、国際機関を辞職したのはこちらの自分の事業をもっとやっていきたい、という気持ちからでした。講師の仕事はひょんなことから引き寄せられたご縁だったなあと思っています。
これから少しずつ、日常を綴っていきたいと思います。
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