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あの投稿から1年以上。

この一年、内側の私は驚くスピードで変化した。その変化に伴った計り知れない悲しみ、怒り、苦しみ、痛みの記憶が、そう実感させてくれている。

ここには自分へのメモとして、今の自分がどんななのかを記録しておこうと思う。




動機。

私がゼロイチのプログラムに採択され起業を目指し始めた時の一番大きな原動力は以下にあった。

私は人間が人間らしく生きることで心を満たし、人、動物、自然の破壊を止め、地球丸ごと幸に満たされる世の中を作りたい。

ただ、この時は言及しなかったものもあった。それは、

『すごいと思われたい。』
『人と違う自分に価値がある。』
『何者でもない自分には居る価値がない。』
『この家の女だってあなたたちを超えていけるんだと、いつか数字で家族に証明してみせる。』




嫌い。気持ち悪い。


誰にだってそんな気持ちはある。頭ではわかっている。

でも。

「地球をまるごと幸せで包めたら」なんて公言しながら、こんな真っ黒な感情の渦が心のどこかそれを燃料として動いている自分がとてつもなく嫌だった。

自分が気持ち悪かった。吐き気がしてトイレに駆け込んだ時もあった。

これを受け入れられていないのもきっと自分が子供だからだと分かっていた。それでも心が追いつかない。醜く感じた。嫌だった。


人と話したくなくなった。





レンズにならないレンズ。


この一年間、今までずっと関わってきた起業家のコミュニティや海外大学に行くのが当たり前のコミュニティとも精神的にも物理的にも離れるために福岡郊外に篭った。

いろんな人の力を借りながら、家族への挑戦、自分の環境、己と向き合うことを、時にマジで挫けそうになりながらなんとか歯を食いしばり頑張った。


あまりにもこの時間がキツくて、事業に没頭して不安や葛藤から逃げようとした。体調を崩した。精神的に参ったりもした。そんな時がありながらも半年以上かけて調整を行い、やっとこの間、久しぶりに福岡から東京に出た。今までのコミュニティと関わることを再開してみた。


すぐに自分の変化に気がついた。






とある方への挨拶に出遅れた。
以前なら真っ先に挨拶に行っていただろうと思われるような人に。







小さな出来事。



今までの私は肩書を見ることから始めていた。

とにかく凄そうな人について行ってみよう。って。そうしたらなんかあるかもって。

この『凄そう』と言うのも資本主義的『凄そう』だったよね。人の中身をみるように努力していたかもしれないけれども、それにしても社会のノイズで私のレンズは牛乳瓶の底みたいだった。

そんなレンズを通してじゃあ、なにを見ようとも、なにも視えていないのと同じだった。





そんな自分に今回こんなことが起こったのだ。

側から見ればとても小さなことだ。

ただ、今までならその会場にいる人の中で誰よりも早くその人の元へ行って挨拶をしていたはずだ。

今まではどんなに疲れていてもこれに疎くなることが一切なかった。

だから自分に驚いた。

肩書を通して人をみていなかったから起こったことなのだと解釈した。

実際その辺りが疎くなって失礼な行動になってしまっていたかもしれない。

ただ、これは自分の人生、そしてウェルビーイングにおける、大きくて大切な一歩であるということを実感した。人としての成長を感じた。




昔の自分と今の比較。



この成長を言語化できる前に、私はすごく不安を感じてた。帰ってから布団の中で考えた。

『どうしてしまったんだろう自分。前まで一生懸命頑張って挨拶しに行ってたりしたのに、自分にはもうそのエネルギーがなくなってしまったのだろうか。悔しい、寂しい、大丈夫なのかな。自分。』

涙がポロポロ出た。



ただ、この出来事があってから数日かけて消化する中で、今まで自分はずっとずっと「頑張る」が通常運転だったことに気づいた。家から一歩外に出れば常時力んだ状態だった。



しかも、内側の自分を高めるために頑張っていたとかではなくて、自己の外側のものごとに対して「執着」していたことに気がついた。


いや、遠くの昔から気づいていた。

今回やっとそんな自分を受け入れることができたんだ。


『すごいと思われたい。』『人と違う自分に価値がある。』『何者でもない自分には居る価値がない。』『女だってあなたたちを超えていけるんだと、いつか数字で家族に証明してみせる。』


そして、今までと違う私の行動は、私が私の感性に素直に従って時間を生きることができ始めているという確固たる証拠だった。(そう思えたのはこのような出来事が他にも積み重なっていたから。)


自分で勝手に作って苦しくなっていた執着という重たい足枷も、自分と周囲と向き合う過程の中でだんだんと消えて無くなってきてる。

『すごいと思われたい』

心の中にこれが皆無だといえば嘘になるが、変わる前の自分の心にそれが100あったとしたら、今は10くらいには減ったような気がしてる。

これが言えるようになったのも変な心の壁が以前より圧倒的に低くなったからだと思う。






今やりたいこと。人生で目指したいこと。


私の一番心に留めていることは依然として変わらない。

私は人間が人間らしく生きることで心を満たし、人、動物、自然の破壊を止め、地球丸ごと幸に満たされる世の中を作りたい。

ただ、一年前に投稿したものから変わったことがある。それは、


「自分が地球を幸せにしよう」のスタンスから、「周りを幸せにできる『余裕』のある人間を増やしていこう」に切り替えること。


今はもう、何者かになるために起業しようなんて思っていない。

誰かを超えたいなんてのも思ってない。

本当に自分のやりたいこと、楽しいと思うこと、このためになら頑張ろうと思えることをひたすらやって、自分の幸せになることをしようとしか考えてない。


まずは。自分が増やしたいと思える『余裕』を持てる人間に、自分が成る。

そこから全てが始まると信じてる。

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