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ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑤ 桜井市外山と等彌神社

奈良県桜井市外山 〝外山〟何と読むかご存知ですか?

「とび」です。

 外山とび地区には、宗像むなかた神社や桜井茶臼山古墳ちゃうすやまこふんなどがあります。

式内大社 宗像神社
由緒書 中世の奈良の歴史が垣間見えます。
拝殿
桜井茶臼山古墳  周囲が住宅地で全景の写真は撮れませんでした(^_^;)


 前回の生駒市に鵄邑とびのむら伝承地がありました。字は違いますが、こちらにもとび(金鵄)に関する伝承があるのでしょうか?

   と思ったのですが、こちらの地名は、大和猿楽やまとさるがく 外山とび座(後の能楽のうがく 宝生流ほうしょうりゅう)が当地を拠点としたことに由来するもののようです。

宗像神社鳥居前に建つ「能楽宝生流発祥之地」の碑


そして今回の本題の鳥見とみがあります。

鳥見山には二つの伝承があります。
一つは『先代旧事本紀』に記す饒速日命にぎはやひのみことの宮の伝承地「|鳥見《とみ》の白庭山」。

 もう一つは『日本書紀』に記す神武天皇の霊畤まつりのにわ橿原宮かしはらのみやで即位のあと、「わが皇祖の霊が天から降りて我が身を助けて下さった。そこで皇祖神を祭って大孝を申し上げたい」と申され、皇祖神を祭った場所が鳥見山中の霊畤まつりのにわです。

 その鳥見山にまつわる二つの伝承がどちらもここ等彌神社とみじんじゃにあります。下の案内図を拡大していただいたら左上に白庭山と鳥見山霊畤まつりのにわが見えます。

等彌神社境内案内図
ここから登ります。霊畤まつりのにわまで往復1時間程です。
横たわる倒木の枝が育って何本もの木になっています。すごい生命力です。
まず白庭の石碑がありました。
さらに進むと見えてきました。ここを登れば鳥見山山頂です
鳥見山山頂
鳥見山山頂にある霊畤まつりのにわの石碑
北側には三輪山が見えます
式内(小)社 等彌とみ神社
上社 「上津尾社」
 鳥見山中霊畤顕彰碑
ご朱印


白庭山

 等彌神社とみじんじゃ 上津尾社のご祭神は 大日霊貴神おおひるめのむち(天照大御神)ですが、かつては饒速日命にぎはやひのみことが祀られていたそうで、背後の鳥見山には白庭の碑があり、一説にはそこは饒速日命の墓とも伝わるそうです。いつの時代の事なのかわかりませんが、まさにここは饒速日命にぎはやひのみことの宮「鳥見の白庭山」であったと主張していた時代があったのだと思います。

 しかし、現在は上社に天照皇大神、下社は八幡大神、春日大神。その他八社(弓張、恵比須、金毘羅、黒竜、稲荷、猿田彦、愛宕、桃神)が祀られていて、饒速日命にぎはやひのみことの姿はありません。


神武天皇霊畤まつりのにわ顕彰碑

  皇紀2600年(昭和15年)の記念事業で神武天皇聖蹟顕彰碑が各地に建てられました。霊畤まつりのにわの地を巡っては宇陀の鳥見山とこちらで激しく争ったそうです。『日本書紀』は「鳥見山中に霊畤まつりのにわを設けて、そこを上小野かみつおの榛原はりはら下小野しもつおの榛原はりはらという」と記します。その事に由来するのか、等彌神社とみじんじゃは社殿を上津尾社かみつおしゃ下津尾社しもつおしやと呼びます。宇陀の方は榛原(読み方ははいばら)という地名があって、私は宇陀じゃないの?とも思うのですが、顕彰碑はこちらの等彌神社とみじんじゃに決まりました。

宇陀の鳥見山(初瀬方面から)
宇陀市の鳥見山中霊畤の碑

 

  あらためて等彌神社とみじんじゃの「昔は饒速日命にぎはやひのみことを祀っていた」と言う話しが気になります。いったいいつの時代のことなのでしょう?式内社ですが 『延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょう』に祭神の記載がなくわかりません。

   古代の氏族はそれぞれの祖神を祭りました。饒速日命にぎはやひのみこと物部もののべ穂積ほずみ采女うねめ氏らの祖神です。一方で、物部氏系以外の氏族が饒速日命にぎはやひのみことを祀ることはありません。

   祀る人が居てこその神様であり、その神の聖地です。今の私達はそれらを歴史上或いは伝説上の出来事・場所として無感情に捉えますが、古代に物部氏以外の人々が自分たちの神の聖地ではない「鳥見の白庭山」をあがめることはまず考えられません。

    そういう意味で、この地が「鳥見の白庭山」であるなら、祖神 饒速日命にぎはやひのみことを祀る物部氏系の一族がいたはずなのですが、残念ながら今回その痕跡を見つけることができませんでした。

 最後までお読みいただいたのに、何ら結論らしきことが書けずすみません。

 



  


   


  

  


 

  

  

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