名月と竹取の「翁」
2024年。
今年の「中秋の名月」は、9月17日(火)です。いい月と出会えるといいなぁと、今からお月見が楽しみです。
「月」と言えば、
読者のみなさんも、中学生の時に学習したことのある『竹取物語』。
中学1年生の国語の教科書にも、すべての出版社が、これを取り上げています。
『竹取物語』は、平安時代の初め頃に成立した日本最古の物語です。誰が書き上げたものかは不明ですが、きれいな月が、「あそこには、きっとすてきな世界があって……」と、古人の想像をかきたてたのでしょう。幼い子らにも『かぐや姫』というタイトルの絵本などでおなじみの話で、「ああ、かぐや姫の話だろ。知ってるよ。」とする中学生が多いです。
私が、国語の授業でこの『竹取物語』をあつかっていた時に、「大切な問い」としていたものが、3つあります。
その一つが、なぜ、かぐや姫の物語ではなく、「さぬきのみやつこ」という名の竹取の翁の物語なのか?という問いです。「ああ、かぐや姫の話だろ。」とだけ思っていた中学生にとっては、理解を深めることのできる問いであり、この物語の持つ価値にまで迫ることのできる問いです。この「問い」を、学習の終盤に子らに投げかけます。
読者の皆さんは、この「問い」にどう答えますか?
シンキングタイムです!
「さぬきのみやつこ」という名の翁。この人物を「かぐや姫」と出会わせて、喜び、悲しみ、そして思い悩む地上の一人の人間として描くことで、読者に「人として生きることの意味」を問いかける物語。先ほどの「問い」に答えることは、この物語が、長く語り継がれている理由に迫ることにもなります。
残りの2つの「大切な問い」は、次のものです。
「作者は、地上の世界を、どのようなところとして描いていますか?」
「姫との別れに際して、不死の薬はいらないとする帝(みかど)。このことをあなたはどう考えますか?」
かぐや姫を得ようと、5人の貴公子が見せるうそ、ごまかし、ずるさ、身勝手さ、そして「死」。物語の中で、これら地上の世界にある「きたなきもの」を描きながら、その一方で、限りある命の中で人と人とがめぐり逢い、そこに生まれる情愛、別れ、その中にある「うつくしきもの」を描く。その対比の中ですすんでいくのが、この『竹取物語』です。
いつの時代も、「物語」というものは、この地上の世界で悩み苦しみながらも生き抜いていく主人公を描くがゆえに、こうして長く語り継がれていくものなのでしょう。
私の記事『なぜ、古典を学ぶのか?』でも示したように、
この『竹取物語』の授業を通じて、古人の思いやものの見方に学び、今を生きる自分を見つめ、自らの生き方のヒントを得るような学習にしていかなければなりませんね。
名月をめでるときに、
天上だけではなく、地上にもある「うつくしきもの」に心が寄せられるといいなぁと思っています。