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法師の失敗のわけ

徒然草』(兼好法師)の第52段「仁和寺にある法師」をあつかって中学2年生の国語の授業をすることがあります。
読者のみなさんの中にも、中学生時代に学習したという人がいるかもしれませんね。

私の記事『よい「教材、よい「問い」』(この記事の最後に紹介中)において、『徒然草』(兼好法師)の第11段「神無月のころ」を取り上げたのですが、実は、この「仁和寺の法師」と「神無月のころ」は、ぜひともセットにしてあつかいたい教材です。

まず、「仁和寺にある法師」を次に紹介します。

仁和寺にある法師、
年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、
あるとき思ひたちて、ただ一人、徒歩より詣うでけり。
極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、
「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。
少しのことにも、【   】はあらまほしきことなり。

口語訳
仁和寺という寺にいた法師が、
年をとるまで石清水八幡宮に参拝したことがなかったのを残念に思って、
ある時に思い立って、たった1人で歩いて参拝しに行った。
極楽寺や高良神社などを拝んで、「これでいいだろう」と思って帰ってしまった。
さて、(仁和寺に帰ってきた法師は、)仲間の法師に向かって
「ずっと長い間思っていたことを果たしてきた。石清水八幡宮は、聞いていたよりも尊くあられた。それにしても、お参りにきた人たちが山へ登っていたが、何事かあったのだろうか?知りたいと思ったけれど、石清水八幡宮の神に参拝することが本来の目的なのだからと、山の上までは見なかった。」と言ったのだった。
ちょっとしたことにも、【   】はあってほしいものである。

『徒然草』兼好法師による

子らに実際に手渡す教材には、「神無月のころ」と同様に、わざと文中に【  】を入れて示します。

なぜ、セットにして学ぶか?

それは、「神無月のころ」は、「なかったらよかったもの」であり、
「仁和寺にある法師」は、「あったらよかったもの」だからです。
みごとな対比をつくることができる素材なのです。

よって、
この2つを使って行う古典の授業のテーマは、「あったらよかったもの、なかったらよかったもの」なのです。
学習前の「導入」として、自分たちの今の生活の中にある「あったらよかったもの」と「なかったらよかったもの」とを確かめ合います。おもしろいですよ。十分に時間をとります。子らからいろいろ出てきます。「ドラえもんの暗記パン」「おつりの中のギザ10」や、「水泳のあとの国語の授業」「〇〇先生の前歯にみえる青のり」など、子らの経験が楽しく吸い上がります。こうして学習への準備ができあがります。

そして、兼好法師。
兼好法師が、あったらよかったものとしたものは何か?」「兼好法師が、なかったらよかったものとしたものは何か?」。

またさらに、この2つの素材をセットにしてあつかうことには、次の意味もあります。
それは、「神無月のころ」における「なかったらよかったもの」は、「みかんの木」でした。この答え「一択」であることがとても大切であり、この一択の答えがなぜなのかを吟味することが、兼好法師を理解する学習課題となります。
一方、「仁和寺の法師」では、「あったらよかったもの」は、その答えが一択でない、いろいろな複数の答えを考えていけるものとなるのです。
収斂(しゅうれん)」型と「拡散」型。これもまた、みごとな対比です。

実際に、「仁和寺にある法師」で確かめてみましょう。

山の上にある石清水八幡宮の本殿には参らず、山のふもとにある付属の寺と神社をそれだと思って帰ってきてしまったという法師の失敗。しかも、自慢話として仲間に語る法師。
法師が失敗しないためは何があればよかったのかを考え合うこと。これが学習課題となります。

先に示した古文中の【   】にあてはまるものは、何でしょうか?
あったらよかったもの?

シンキングタイムです!

次のような複数の「答え」が、子らからでてきます。

同伴者 (ふたり、3人、いっしょに行く人がいてたらよかった。「ただ一人」というのが…。「ちょっと、上まで行ってみようか」と誘う同伴者が一人でもいれば…。)
案内板 (敷地内の全体図をしるした案内板や、「本殿はこちらです」と書いた道しるべがあれば…。)
ガイドブック (「石清水八幡宮はこう参拝する!」というような情報誌があれば…。)
仲間の法師の事前アドバイス (出かける前に、行ったことのある仲間の法師のレクチャーがあれば…。)
スマホ (当時はないとわかっているものの、今ならやっぱりスマホ!GPS機能、すごいから。)
事前学習 (私たちでも校外学習へ行く時には、事前学習をして…。)
人に尋ねる勇気 (「みなさん、どこへ行かれるのですか?」と、まわりの人に聞けばよい。少しの聞く勇気があれば…。)
好奇心 (「なんだろう?」、目的とは違うけれども行ってみようという好奇心がもっとあれば…。やっぱり、年をとっていたからかなぁ…。)
若さ (年をとることで、「こんなもんだろう…」と思い込んだり、山へ登っていくのは、ちょっとなぁ…となってしまったり…。そんな尻込み。若さがあれば違っていたのでは…。)

どうですか。
すばらしい子らの思考。自分たちの「今」の生活と結び合わせながら、法師の失敗を様々な視点から見つめ、自分たちの生活に生かせる視点をも学びとっていますね
「若さ」という指摘には、私自身、ドキっとします。歳を重ねた今、この法師のような失敗をしてはいないか?気持ちだけでも若くありたいものです。

さて、
実際の『徒然草』の本文にあるものは、「先達(せんだつ)」。
なかなかこの「先達」という語の口語訳は微妙で、ものの本には、
案内人」としていたり、「指導者」「その道の先導者」としていたりします。

最近の教科書では、「神無月のころ」と「仁和寺にある法師」とをセットにして示している教科書がないのが残念です。教科書出版社は、このことを分かっていません。

国語の先生は、教材研究に活かしてみてください。充実した授業にしましょう!





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