若さは確信で輝き、大人は迷いで深くなる。
「断定」は生き残り戦術のひとつだった。
まだ何者でもない自分を少しでも大きく見せようと「これが答えです」とか「解決法はこれです」と言い切ることで、自分の居場所を確保しようと必死だった。
強い言葉には力があるから「正解っぽい雰囲気」をまとえば、人は耳を傾けてくれる。少なくともそう信じていた。
30代に入ると少し風向きが変わる。
仕事も板について、自信が芽生え、自己肯定感がじわじわと肌に馴染んでくる。いつの間にか周囲から「頼れる人」だと思われたりもする。そんな万能感に浸る瞬間は悪くない。
それでもときどき疑問が浮かぶ。「答えを持ってる風の人」を演じ続けるのは、本当に自分のためになるんだろうか?
むしろ最近憧れるのは「わかんないっすねぇ」と肩の力を抜いて言える人だ。
その一言には、自分の限界を受け入れ、他者に向き合おうとする柔らかさがある。「答え」を出すことではなく、共に考えることに価値を見出している人。
その姿勢には知性だけでなく、成熟したユーモアが滲んでいる。
若さは確信で輝き、大人は迷いで深くなる。
30代前後というのは、そのちょうど過渡期なのかもしれない。万能感と不安感、どちらにも引っ張られる中で「答えを持ってる風の人」として振る舞う自分に気づくことがある。
本当にこれでいいのか? 苦しくないか?
自分だけが答えを知っているふりをして、その場を仕切るよりも「うーん、俺もわかんないなぁ」と言いながら一緒に悩む時間のほうが豊かじゃないか。
夫婦生活や子育てもそうだろう。
妻から何かしらの悩みを相談されたとき、夫は優位に立ちたがるものである。「いやいや正解はさ」と断定してくるわけだ。が、妻が真に求めているのは「正解の押し付け」ではなく、一緒に調べ、迷い、学習するその姿勢であろう。
これからはもっと迷ってみたい。
自分の「わからなさ」を誇りに思い、答えを急がずに他人と向き合いたい。そのほうが、人生の奥行きが広がり立体感が出るはずだから。
「わからない」と言える大人になること。
それがこれからの時代を生き抜く新しい強さなんじゃないかなぁ。だってマジで正解がわからないんだもんなぁ。
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