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そういうことが言える人になりたい。

数日前のある日の札幌は、目もくらむような大雪であった。

前を進むことが困難な風の中、白い雪がガトリング銃の弾幕のように襲いかかってくる。最高気温氷点下4℃の世界。目を細めて雪の中をかき分けて歩くような、そんな日。

その日は朝からお取引先との商談があって、とにかくそこに辿り着くだけでも疲労困憊。会話の最初のひと言は決まって「今日は雪がすごいですね」。


その日のアポイント数は6社か7社かもう忘れてしまったが、1日8時間で訪問できるであろう企業数の上限に達している。日も暮れかかったその最後の商談は、昔から懇意にしている担当者さんがいる企業だった。



応接室に通された私は、直立不動で担当者さんの登場を今かいまかと待つ。しばらくしてドアがガコンと開き、夜の生活以外の全てをお互いに理解しているようなレベルの、私よりもはるかに歳上の担当者さんが現れる。そして開口一番こうおっしゃるのだ。



「イトーさん、今日はこんな悪天候の中、弊社のためにご足労いただきまして本当にありがたい限りでございます」



この記事を書くとき、どうしても他の企業との対応の差について言及せざるを得ないのが心苦しいのだが「悪天候の中」で足を運んだことを丁寧に労ってくれるのは、この方ただ1人であった。


そして思うのだ。


ああ、この人には敵わない。干支一周分も年齢が離れている若造に対して、そのような労いと感謝の言葉を果たして私は口に出せるだろうかと。



そういうことが言える人間でありたい。

それも、第一声で。



こう考えると、私のみならず、人というのはその人の中にある「理想」に飢えていると思う。

仕事とはいえ、大雪の中をわざわざ来てくれたことへの感謝をどれだけの社会人が言えるだろう。ごくありふれたトイレ掃除という家事を妻がしてくれたことに、純朴な心からの感謝をそれとなく伝えられる旦那さんがどれだけこの国にいるだろう。

それらに対する感謝を述べるべきだ、と思うのは私が貧乏な家庭の出自で大学除籍だからだろうか。いや、

人は程度の違いこそあれ、理想に飢えている。



ああ、そうかと。

とてもベタすぎる話で書くのも恥ずかしいが、ありがたいという言葉は漢字で「有難い」と書く。とある状態で「有る」ことが「難しい」ことなので「有難い」と書き、転じてその状態に対して感謝を伝える「ありがたい」になる。ベタすぎるね。


「仕事なんだから当然でしょう」と思われる方もいるかもしれないが、この時代でも仕事というのは人と人との連綿とした営みの中から生まれる。


そういうことが言える人でありたい。


〈あとがき〉
仕事においては経営者や担当者の人間性ではない実務的なところで評価を下したいと思うのは、少しだけビジネスをかじった人間ならば誰でも思うことです。が、私は地方にいますので東京のようなメガシティほど機械になりきれません。理想像を描きながらそれに近づこうと心がける毎日です。今日も最後までありがとうございました。 

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