ウソをウソと見抜く必要はない。
何を信じればいいのかわからない時代だ。
テレビをつければ「物価上昇で経済は好調」と経済学者が笑顔で語り、スマホを開けば「庶民の生活が地獄化」という嘆きが流れる。
同じ社会の話をしているのに、論調はまるで真逆。
大手メディアは中庸を装いながらスポンサーの意向に配慮し、ネットは情報の拡散性ゆえに極端な意見がバズる。この二つが絶妙に乖離している今、嘘を嘘と見抜く能力がなければ生きていくのは本当に厳しい。
が、本当にそうか?
嘘を見抜く力。誰がその能力を持っているのか。私たちは皆、日々膨大な情報の海を泳ぎ、時に溺れながら生きている。
「自分で考える力を持て」と言われるが、その前提として情報の真偽をどうやって判断するのかを教わった人はほとんどいない。
学校で習った「出典を確認する」「複数の情報源を比較する」といった教科書的な方法は、速さが求められる現代ではあまりに悠長だ。
ここで提案したいのは、情報を「真か偽か」で判断するのではなく、「この情報は誰にとって得か」という視点で考えることである。
たとえば「経済好調」というニュースが出れば「誰がこれを言いたいのか?」と考える。スポンサー企業か、政府か? だれだ?
逆にネットで「全てが終わった」と叫ぶ人たちには「絶望を煽ることで得するのは誰?」と疑問を向ける。ある論調が広まったときにそれが流れ流れて得をするのは誰なの? を考えるクセ。
これを繰り返していくと、情報は単なる事実の羅列ではなく、人々の利害関係が絡む物語として浮かび上がる。
物語もバイアスで歪められてしまうのだけど。
私たちが最も警戒すべきなのは、自分の信じたいものを信じる「バイアス」だ。事実よりも自分の快適さや安心感を優先してしまう瞬間にこそ、嘘に飲み込まれる最大のリスクがひそむ。真実を追い求めることは疲れるし、孤独な作業だが、それでも諦めないことがこの複雑な時代を生き抜く鍵なんでしょうね。
「だれが得をするのか?」
情報の裏側にある人間の動機を想像し、無数の物語の中で冷静さを保つ必要がある。
にしたって私たちひとりひとりがコナンみたいな探偵にならなきゃダメってキツイよなぁ。
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