自分のプライドの高さに嫌気がさしている人が読む記事。
プライドという言葉は、
とかく否定的に用いられることが多い。
「あいつはプライドが高いよなぁ」
「あいつ、プライドだけは一人前で
なんだか付き合いづらいよ」
だとかそういうやつ。
プライド、プライド、プライド。
が、思うに、プライドは高くていいと思う。
プライドは原動力になる。エンジンになる。
プライドの高さからくる「負けたくない」「負けられないんだ!」「ここは一歩も引けない!」という気持ちは、私たちを突き動かすエンジンになりうる。
プライドとは、誇りであり、自尊心であり、自負心、言い換えれば、自分に対する自分のためだけの自己評価である。
そこには比較対象としての他人は出てこない。
生きる上で重要なのは、プライドの有無、高低ではなく、見栄を張らないことであろう。
私たちは、このプライドと見栄を混同しがちだ。
じゃあ、見栄とはなにか。
見栄とは、他人の評価を気にして、自分を実際以上に優れたものとして見せようとする態度そのものである。
見栄を張る人は、負けを認めないらしい。自分の無知を認めないし、教えを乞おうともしないんだとか。
…
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
ということわざがある。
わからないことは素直にわからないと言い、教えを乞う。一時はプライドが傷つくかもしれないが、知識という血肉を得ることができる。
一時の虚栄心、見栄にこだわり、無知を認めず、わからないままにしていたらどうなるか。
そこで得られるはずの知識が得られない。
知ったかぶりを繰り返し、知識ならぬ恥識(ちしき)に陥る。それを指摘された日には、一層プライドが傷つくだろう。
プライドは持っていてもいい。
誇り高く生きる方がかっこいい。
が、見栄は張ってはならない。
が、それでも、
プライドと見栄を混同するなかれ。
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