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ピーマン。
スーパーのレジに並んでいると、前に立っていた男性が「ここはいつもレジが遅い」とぼやいた。
大学生風のレジ係は笑顔で「すみません、今からダッシュで打ちます!」と返し、私は思わず笑っちゃった。ぼやき男性も「そうだそうだ」と言っている。解決したんだかしてないんだか。
ただ、そういう殺伐とした空気の中での何気ないユーモアに、場の空気がほぐれることは往々にしてある。
どうしても言いたくなる「嫌い」の主張を少しだけ飲み込んで、かわりにジョークでも言えたら。「嫌い」の主張に対してレジ係の人のようなユーモアで返せたら。
ここで思い出すのは漫画『ROOKIES』の第1巻のセリフだ。
「手って不思議だよな。握れば拳、開けば掌。 掌っていうのは『手の心』っていう意味だ。 俺はいつか、お前が自分からこの拳を開いてくれる日が来るって信じてるからな」
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悪意をもって「嫌い」だと主張するのは、上記の『ROOKIES』のセリフでいえば拳を握っている状態である。
思うに、嫌いなことを大声で言うという行為の裏には、その場の主役は自分である、という他人置いてけぼりの心があるような。
でも、そうすることで何かが良くなるのだろうか。
場面によるが、たいていの場合は「嫌い」をわざわざ主張する必要はない。
私たちが「嫌い」を口にする必要がないのは、その感情が生き方に何の建設的な影響も与えないからだろう。「嫌い」を語ることで得られるものは少なく、失うものは多い。
だとしたら、ふとした時に誰かに微笑んだり、何の意味もなく軽い言葉を交わしたりする方が、ずっと世界を変える力を持っているのかもしれない。
だから、レジで少しのんびり構えたりする時間をあえて選ぶのも悪くない。コスパとタイパに踊らされる毎日からの脱却。
そういう小さな選択が私たちの毎日を少しだけ明るくするのだ。「嫌いであることを言う必要って、冷静に考えたらねーよな」と、そう思うのもひとつの発見かもしれないね。
いや、やっぱ胸の内では言いたいかもなぁ。だって自分が主役だもんなぁ。
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<あとがき>
嫌いなことを口にするのは簡単ですが、その一言がどれほどの影響を与えるのかはわからないものです。少し立ち止まって、何気ない瞬間に隠れた小さな幸せや笑顔を見つけることで、私たちの毎日はもっと豊かになるかもしれません。嫌いを語る代わりに、ひとつの微笑みや思いやり。今日もどこかで、その小さな選択が誰かの心を温めていることを願っちゃったくらいにして。今日も最後までありがとうございました。
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