引田天功のテンコー感。
引田天功といえば、昭和に一世を風靡したマジシャンであり、異名は日本の脱出王。
その異名の通り、脱出マジックを得意とし、見ている視聴者をハラハラさせながら数々のイリュージョンを披露してきた。
らしい。
引田天功と聞くと、平成生まれの私はプリンセス・テンコーを第一に思い浮かべる。彼女は平成に一世を風靡したマジシャンで、初代引田天功の名前を継いで二代目引田天功を名乗った。
らしい。
最近は見ないな。
たぶん外国にいそうだ。
引田天功という名前を聞いたときのテンコー感。私の頭の中には「マジシャン」としてのラベルが貼られているから、この名前を見ると、イリュージョンを思い浮かべる。
引田天功という名前からは、魔術感を感じるわけだ。プリンセス・テンコーには魔術感を見出せないけれど、引田天功からは見出せる。
テンコー感。
すばらしいネーミングである。
そう考えるとやはり「名は体を表す」の慣用句の真実性を認めざるを得ない。
たとえば、ジャッキー・チェンは間違いなく拳法の使い手だし、トム・クルーズはハリウッド俳優っぽい。
キャサリン・ゼタ・ジョーンズは間違いなく黒髪の美しい女優っぽいし、キャメロン・ディアスはやたらと背が高そう。
ニコール・キッドマンの名前を知ったときに思ったのは、たぶんキツそうな顔なんだろうな、であり、実際にキッドマンを確認してみると、やっぱりキッドマンな顔。
メグ・ライアンの顔を知ってからメグ・ライアンを見ると、いかにもやさしそうで「やっぱメグ・ライアンだわ」となる。
綾瀬はるかの名前からは、そこはかとない安心感を覚えるし、長澤まさみ、広瀬すずを見ると「平仮名の名前というのは美の中に親近感を想起させるのにひと役買うのだな」と思える。
名前は世相を反映するらしい。
というのは過去の記事で書いた。
戦時中は「勝子」の名前が上位に入り、昭和の高度経済成長期は「和子」「昭」という元号にあやかった名前が人気になる。
平成、令和と時代がうつり、生きづらさからくる「やさしさ」みたいなものが取り上げられると「葵」「ひまり」みたいなかわいい名前が人気になったかと思えば、
最近は温故知新的な感じなのか「◯太郎」や「◯之助」みたいな古い名前をつけることで「逆に新しい」みたいなそんな感じ。
我が家には子どもがまだいないが、もしも子どもが産まれてきたならば、どんな名前にしようか? ということを一時期よく考えた。
即却下された。
というわけで、爆太郎は却下。
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