noteを始めてから1年が過ぎて
みんなが揃う朝焼けの中。
言葉は交わさないけど伝わる何か。
そういえば、と思い出すおいしいものと探しもの。
浮かぶ家族、聴こえる歌声、見える姿。
にやけてしまう甘すぎるチョコケーキ。
noteを始めてから1年がたちました。
毎日投稿しようと始めたけれど、見返してみたらたった10日たらずで挫折していました。
毎日こつこつ……が苦手です。
なんでも最初張り切ってしばらく続くのだけど、それを毎日は続けるのがむずかしくて、少しの休憩をはさみながら続けていくことは出来るのだけど、サボってしまうのです。
だから、毎日続けている人はすごいな、と心の底から思います。どんなことでも。
書くことは小さな頃から好きだったし、20代の頃から休む期間もありつつ手帳に日々の記録も書いています。noteを書いているのも自分のためではあるのだけど、読んでくれる誰かがいるから、全てをそのまま書かずに、書けるような形に変えて書いたりしています。
私の中で「書く」ということは自分の気持ちを見直すことでもあるから、自分でも気付かなかった気持ちがぽろりと出てきたり気付いたりしておもしろくて、あぁ、そんな風に感じていたんだなぁと自分の気持ちにはっきりと気付くきっかけになっています。
私は年齢的にはずいぶん大人になったけど、今でも家族以外の誰かと話すことが苦手で、特に雑談なんてなんの意味があるんだろうとずっと不思議に思ってきていたし、何を話せばいいのか頭の中が真っ白になることも多かったのだけど、自分の気持ちがわからなかったからなのかもしれないなと思うようになりました。
noteに書いているような自分の本当の素直な気持ちは、普段ほとんどnoteに書いているようには話していなくて、時々冗談まじりにぽろりと話すぐらいだけど、自分の気持ちを自分が知っていることで、誰かと話すことがあまりこわくはなくなったような気がします。
最近、苦手だった雑談があまり苦手ではなくなっていることに気付いて、意味のないように思っていた雑談こそが、その人を知ることだったり、自分のことを知ってもらう大事なことだったんだなと思うようになりました。
なんでもないことを話して、お互いを知って、なんでもないことを話せるから、時々ぽろりと大事なことも話せるようになって。noteはそう思えるようになったきっかけの一つです。
自分のために書いている文章をどこかの誰かが読んでくれて、スキしてくれたり、マガジンに追加してくれたり、コメントをいただいたり。誰かのnoteを読んで、素敵な文章を書かれる方がたくさんいて、心地よさや新たなものの見方やスキや思うことが似ててうれしくなったり。
毎日、時間のあいた時にnoteを開いて読んだり書いたりすることが、楽しみのひとつになっています。