日々を書きとめること
ゆらゆらと。
弱さと優柔不断さと。
ふらふらと。
それたまま遠回り。
ふわふわと。
折り合いをつける。
20代の頃から日記を書いている。
最近は毎日書いているけど、毎日書けない日もあったし、空白のページの方が多い年も数年続いた。
今は毎日書く日記と、つけ始めて9年目になる10年日記。そしてnote。
10年日記は去年から毎日書けているけど、その前の7年は空白がほとんどで、ところどころぽつりぽつりと埋まっているだけ。でもまあ、書けない日も、書けない時期もあったのだと思えるからこれでいいのかなと思ってる。
10年日記は、出かけた場所やちょっとしたことを書くだけだけど、過去の同じ日に何をしていたのか見えるのが楽しい。
毎日の書いている日記は、若い頃は感情や気持ちをつらつらと書いていた。持て余していた自分の気持ち、溢れてくる感情、繊細すぎて(今はずっと図太くなってしまった…!)ささいなことに傷ついて敏感になっていたから、書くことがたくさんあった。
ある時期からは、楽しいことを見つけて書いていた頃もあった。町で見かけたおしゃれな人のイラストを描いたり、心が動いたこと、うれしかったこと、目にしたきれいなもの、自分の暮らしに取り入れたい素敵なアイデアなど。
今は、その日の出来事や思うこと、感じたこと。ほとんどはただの記録のようになっていて、読み返すことはほとんどないけど、読み返してもあまりおもしろくはない気がする。でも、羅列された出来事から浮かび上がる思い出や感情は溢れてくるかもしれないな。
noteは、読んでくれる誰かがいるものだから、自分のためだけに書く日記とは違うけど、具体的に書かない分、抽象的だったり、自分にだけ分かる書き方だったりして、また別の楽しさがある。
自分のための日記は、手を使って紙に書いているから、それによっても書く内容が違ってくる気がしてる。
noteはスマホでぽちぽちと、違うなと思うところはさくっと消せるし、すらすらと思うままに書けるから、案外本音が出てくるなぁという気がしてる。昔の懐かしい記憶が書きたくなったり。
自分用の日記は、読み返すこともなく、若かりし頃の日記は全部捨ててしまった。最近の数年分は残してあるけど、たまってきたらまたあっさり捨ててしまうと思う。
読み返したくて、残したくて書いてるわけじゃないんだな、きっと。自分の気持ちを整理するためなんだ。書くことで見えてくる自分の気持ち。