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欲しかったものが手に入ったら

早朝に活動する人達にまぎれて。
積み重ねも経験もないままに。
ゆがみを治すためのストレッチ。
少しだけ蒸し暑さから解放された。
困っていたら助けに来てくれた。
遅れてることとわからないままのこと。
待つ時間、静かな時間。
あるものをなくした。


「欲しいなぁ」と焦がれているものも、手にしていなければ憧れのまま。空想したりしてキラキラした思いでいつか手にすることを思い描いたりする。

欲しかったものが、目の前にやってきて手にしてしまうと、すごくすごくうれしくて幸せな気持ちと一緒に、私はいつかなくしてしまうことを思い描いてしまうようになる。

なくしたり、忘れたり、壊れたりして、あるものはいつか消えてしまうかもしれない。でもそんな悲しいいつかを思い描いて「今」を過ごすのはとてももったいないと思う。

なくしてしまうことより「今」を存分に味わって、大事にすることの方がよっぽどいいと思う。

わかっているのになくしてしまうことが頭の片隅に居座ってしまって、なくしてしまうことが怖いから、そこから逃げてしまいたくなったり、なくしてしまうような方へ流れていってしまったりする。

わからない先のこと、うれしい想像ならいいけれど、不安になる想像はわからないままでいい。ただ「今」に集中して、目一杯味わっていたい。

そんなことを今日の朝書いていた。

そして、今日の午後、読んでいたくどうれいんさんのエッセイ「桃を煮るひと」の中でその考えを後押ししてくれるような文章に出会った。

いずれすべて朽ちる。そうであればなるべくおいしいところを選んだほうがよい。「んめとごだげ、け」。わたしはその一言に、何か人生にも通じるような大きなメッセージを感じずにはいられない。

「桃を煮るひと」くどうれいん

野菜作りになぞらえて、いずれ朽ちて(なくなって)しまうのだから、もったいないと思わず、いいところ(おいしいところ)だけを選び取って、大事においしく味わえばいい。

なくなってしまうのだから、今を存分に味わおう!とそんな風に聞こえた。同じなくなってしまうことを頭の片隅に置いているのに、私とは逆の発想で、はっとした。

そっか、いつかはなくなってしまうのだから、今をたっぷり味わえばいいんだ。

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