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誰かに見せる日記のメリット

今まで私には日記を書くと言う習慣がなかった。日記を書くことによるメリットを色々を知っていても、抵抗があったから。誰にも見せないことを前提として日記を書くと、時に文章はあまりにも乱暴になるし、赤裸々になる。だって誰にも見せないのだから、何を書いたって自由だから乱暴な事を書いても許されるとは思う。

でもどうしても書こうとは思えなかった。もし、不慮の事故で死んでしまったら、誰かに読まれてしまうと思ったら書けなかった。時に乱暴な言葉で書いたものや、赤裸々な内容をいくら死後とはいえ私は誰かに読まれたくない。

そんな風に考えると、誰が読んでも不思議ではないネット上でInstagramと言うSNSを使って公開する日記は私にとってはリスクが少ない。

私に万が一のことがあってもこの文章が残ることは何の問題もない。公開できるレベルの抽象性と言葉を使っていても、私が考えたこと、感じたことの記録としては十分な役割を果たしてくれる。

「今日はどこに行った」「〇〇さんと会った」「お洒落なカフェに行った」なんて言うインスタ映えする様な行動の記録ではなく、うつ病の私が「こんな事を考えた」「こんなことしたらこんな気分になった」など、見聞きしたこと、家族のこと、友人のこと、社会で起こってること、自分の将来など私自身がその日に感じたことのを抽象性を交えて記録するのが、Instagramだったのです。

人生に大きく挫折して、働くことも出来ていない私のInstagramでの公開日記。文才もなく誤字だらけ。そんな特別な才能なんてない超一般人。一般人以下の私でも、毎日感じたことを投稿することによって、思考の記録、生き方の記録が誰かの支えになれてる様な感覚があることはとても嬉しい。







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