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祈り=「想い」+「願望」+「思い」+「願い」

祈ってみる。

ふと思い立ったり、どうしようもなくなってきたりすると自分は祈りに行きます。自分はどの宗教に属すでもなく、無宗教ですが、子供時代、物心ついた時から祈りをしていました。

誰に・・という訳ではありませんが、心の中で「うまく行きますように」
みたいな事です。願掛けなのか、「明日天気が良くなりますように」や「無事に帰れますように」などなど。中には「1等が当たりますように」など我欲の塊も含めたお祈りです。強烈な欲まみれものは見事願いは叶えられないようです。

大人になって自由に移動が出来るようになるとお参りするために移動する事や、旅の道で適当に気になったり目に入ったら足を止めてお参りしたりしています。

お寺や神社の入り口に立っている案内を読み、歴史を学ぶ事で自分の生きている時間など「秒」に等しいと思いつつ「歴史が書かれている過去に想いを馳せる」ことも楽しみです。

子供の頃は、手を合わせて結構具体的なお願いを多分にお願いしていました。お願いしたらスッキリして叶ったかも忘れてしまうのですが・・。

大人になってからは何も考えず手を合わせる事をしています。何もせず手を合わせているのに何か頭に込み上げてくるようであれば、それはそれで余裕がない気づきになrので、その点を気をつけるように生活しています。

今では、自分の身近で「お参りルート」がいくつか出来ています。
何かに忙しかったり、心を忘れているような時、お参りをさっぱり忘れ、手を合わせる事が出来ていない時は大抵余裕がない時。
自分の中では黄色信号です。

ローソクに火を灯し、お線香に火を移し、目を閉じて静かに手を合わせる。誰でもない、自分や周りの人の幸せを祈って。風の音や空気の流れ、周りの音を聞きながらリラックス。

肩の力を抜いて、1日のはじまりです。

自分自身は、そのような生活をすることで今日も頑張ろう。今日もありがとうと思えるので1つのおすすめです。

案外気持ちの良いものです。