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『久しぶりに会うと距離感分からなくなる』問題

僕は割と仲の良かったはずの人でも、久しぶりに会うとどう接して良いのか分からなくなって変によそよそしくなっちゃいます。

多少ぎこちない程度ではなくて、挙動不審レベルで様子がおかしくなります。

喧嘩をしたから会わなかった訳でもないし、なんなら会えて嬉しいのにモジモジしちゃいます。

久しぶりに会う人への距離感があまりにも分からなくなる現象は自分でも不思議な謎でした。


その謎が解けた気がします。
コメントのやり取りや自分のnoteや日記を読んでいて気がつきました。
ありがとうございます!佃さん、おだんごさん。

段々と自分らしくいられるようになって来たし、シチュエーションによって多少キャラが変わるのは自然な事と思えて来た今になってやっと分かった気がします。

「あぁ、アレはこういう事だったのね」と。

相手の反応によって距離感を変えるという微調整は少なからず多くの人が意識的・無意識的にやっている事だろうと思いますが、僕の場合は相手に合わせてキャラクターを調整する割合が多かったんでしょう。

僕が他人と接する時にどういう距離感で接するのかは自分の感情で決めた距離感じゃなくて無意識的に相手の反応を良く観察して決めた距離感だから。
言わば観察するという調査によって得たデータに基づいて割り出された答えなのです。

『自分がどうしたいとか、何が話したいとか、どんな関係性でいたいとか』ではなく、それよりも『相手が不快にならない為にはどんな自分を演じたら良いのか』を無自覚のまま常に探ってしまっていました。

ほぼ全ての人にそれをしているから、しばらく会わなかった相手に対してはデータを初めから作り直さなきゃいけなくなって混乱してしまう。そういう事なんじゃないかと。

「この人の前ではどんな顔をしていたかな?」
「この人とはタメ口混じりで話してたっけな?」
「この人には少し毒っ気のあるツッコミをしても良い関係だっけ?」
再会を喜ぶよりもデータの保存先を冷や汗かきながら探すのに必死こいてます。

なるほどたしかに、思い返してみると
『親しい』まではいかない人に対してはどうかと言えば、元から距離感を縮めてはいませんから久しぶりに会っても『親しくない知人』の距離感で接すれば良いのであまり困りません。

そしてごく一部のキャラクターを演じる必要がない程に心を開いた人に対しても、どれだけ間が空いても会った時に違和感なく接する事が出来るのはその人の前では演じたキャラクターではないからなのでしょう。

いつでも人畜無害なキャラクターを演じている自分を『着ぐるみ』と名付けましたが、相手に合わせて着ぐるみを着替えていた程とは名付けた時には気が付いていませんでした。
器用なんだか不器用なんだか。。

なんでそんな疲れる事してたんだい?おい、オイラ。
色んな事が『他人軸』だった自分から『自分軸』に変わって行く過程にいる今、昔の自分がバカバカしく思える事もありますが、その時はがむしゃらに生きてたんですよね。
頑張ったぞ、自分。
でもこれからはもっと楽に生きていいと思うんだ。


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