高野山大学で仏教(密教)を学ぶ友人
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、向学心のある友人について、語ります。
私のロールモデル(生きるお手本)がオリヴァ夫人だ、ということからも、皆様、私の年代は推測が付くことと思います。
ところが、そんな年齢を物ともせず、新しい挑戦をしている友人がいるのです。
友人とのいきさつ~学生時代
彼女はもともと、鎌倉時代の仏教について研究をしていて、修士論文も、鎌倉五山に関するものでした。
一方、私は、同じ文学専攻科の中でも、平安時代中期の文学が専門でした。
お互い、学んでいたことは違いますが、当時、大学院生は数える程しかいなかったので、自然に親しくなりました。
論文を書き上げ、口述試験もクリアして、無事に修士課程を修了した私たちは、偶然ですが、二人とも私立高校の教師になりました。
もちろん別の高校です。
そうこうするうちに、私は結婚することになり、彼女は、私の結婚披露宴にも来てくれました。
私は結婚した次の年には、長女が生まれ、初めての出産、育児にバタバタしておりました。
友人のその後~アメリカでの生活
彼女は、順調に教員生活を続けていたのですが、数年経って、アメリカにある、日本人学校の教員に転職しました。
しばらくしてから、日本に帰る、と言ってきました。
ところが、荷物を日本に向けて送り返してしまってから、やはり帰国はやめて、アメリカにいることにした、と言うのです。
何でも、帰国直前のパーティーで出会った、日本人男性と結婚することになったのだそうです。
その彼は、彼女と知り合った頃は、アメリカの州立大学の教員でしたが、やがて、民間企業に誘われて、その企業で働くことになりました。
彼女は、帰国を決めた時に、すでに学校は退職していましたから、その間は専業主婦だったものと思われます。
ご主人が民間企業に移って、しばらくしてから、彼女は、住まいの近くにある、著名な私立大学の図書館で働くことになった、と言って来ました。
日本語の本の管理をする部門にいるということでした。
彼女のお子さんは女の子で、大学まではアメリカの学校に通いましたが、大学院は日本に来ることになったそうです。
入学の手続きにお嬢さんと一緒に日本に来ている間に、私も久し振りに彼女に会いました。
お嬢さんは、日本で大学院に通い、彼女とご主人はアメリカで暮らす日々が続きました。
そんな頃、彼女は、腰を痛めたので、重い本を運ぶ図書館の仕事はできなくなったから、辞めたことを教えてくれました。
高野山大学へ入学
のんびりしているのよ、と言っていましたが、東日本大震災の時には、日本でもアメリカでもボランティア活動をしていた彼女です。
次は何をするのかな、と思っていたら、タイトルに書いたように、「高野山大学の通信制修士課程に入学しました」と言って来たのです。
ぼけ防止になるから、などと言っていましたが、翌年のクリスマスカードには、知らないことが多くて、もっと密教の勉強をしたいから、二年で修了しようと思っていたけれど、四年にすることにした、と書かれていました。
高野山と言えば、弘法大師・空海が、真言宗の本拠とした、金剛峯寺のある場所です。
816年、空海が高野山に密教道場を開いてから、1200年以上。
大学本体は、1886年(明治19年)創立の古義真言宗大学林を母体にして、1926年(大正15年)に、高野山大学として設立されています。
空海の教えを学ぶ場所ですから、お寺の後継者が多く在籍しているのはもちろんですが、一般学生との割合は半々だそうで、決して閉ざされた大学ではありません。
通信制の大学院では、社会人も広く受け入れています。
もともと空海は、「即身成仏」として、仏のように、迷い苦しんでいる人々を導き救おうとする存在に、今この身のままの私たちでもなれる、という教えを説きました。
この社会を良くしたい、という願いが、根底にあるのです。
ボランティア活動にも積極的に関わってきた彼女には、ぴったりですし、学問としての密教を究めたい、という彼女の要請にも十分応えてくれることでしょう。
彼女には、是非、存分に学びを深めて欲しいと思います。
そして、また、いつか彼女に会えますように。
まとめます。
学生時代からの友人が、今、通信制の大学院で学んでいます。
いくつになっても、学問を始めるのに遅いことはなく、また学びたい、知りたい、究めたい、というひとの欲求は途絶えることのないものですね。
私も、このnoteの世界で色々な人々に出会って、新しいことをどんどん学んでいきたいと思っています。