徳の人、梅園
梅園先生は、「慎独」という文字を好んで書いたそうです。
自筆の書も残っています。
この「慎独」は、中国の古典、「四書五経」の「四書」のうちの一つ、『大学』に出てくる言葉で、「君子はその独を慎むなり」という一節があります。
学識・人格ともにすぐれ、徳行のそなわった人のことを、「君子」と言います。
立派な人は、他人の目のないところでも、自分を律しているということですね。
先ほどの、先生がご覧になっていない時でも、先生のいらっしゃる前を通るときには、常に礼をしていたという、梅園先生の愛弟子、矢野雖愚のエピソードには、出典があります。
それが、『愉婉録』です。
これは、世の孝行息子や娘、あるいは忠義の人の話を集めた実話集で、梅園先生が、子供たちを諭すために作ったものです。
矢野雖愚の挿話は、【糸永村 矢野雖愚】として、おさめられています。
梅園先生は、親孝行や忠義の心を、何より尊いものとしました。
親孝行をする、お世話になった先生に礼儀を尽くす、こんな身近な徳を、百行の本として、大切にされたのです。
『愉婉録』を読んでいると、そこに登場する、市井の人々の、懸命にあるいは誠実に、お天道様の下でまっとうに生きる姿に、感銘を受けずにはいられません。
そして、そういう地に足のついた人々の、一見ささやかにも見える徳行を、ちゃんと評価して、本にまとめた梅園先生は、やはり「君子」なのだな、「|豊後聖人《ぶんごせいじん》」と呼ばれたのも、当然のことだったのだな、と思うのです。
この、『愉婉録』の最後に、梅園先生が、その父、虎角の言葉を書いています。
この虎角翁は、やはり医師でしたが、慈悲深い人で、貧しい人や困っている人を見たら、手を差し伸べずにはいられない人でした。
そんな父の姿を見ていたからこそ、梅園は、「慈悲無尽興行旨趣並約束」を書いて、村全体が余力を出し合って、生活に困っている人が出たら、助け合おうとしたのです。
父虎角は、梅園先生に、こう言いました。
『他人に、羨ましい、妬ましいと思わせることをしてはいけない。
隣に貧しい人が住んでいたら、綺麗な着物を着て、美味しいものをお腹いっぱい食べ、仲間と歌ったり、酒を飲んだりしてはならない。
貧しい人は、そんなお前をきっと羨ましいと思うだろう。そして、それが、恨む心になるのだ。他人に、恨み心を生じさせてはならない』
自分の行動が他人に及ぼす影響を、まず考えよという、究極の思い遣り。
他人に、自分を恨ませないために、まず自分の行動を律せよというのです。
羨ましい、という気持ちを、他人に起こさせないために、贅沢な行為は慎め、という父の言葉。
梅園先生が徳の人だったのは、父虎角の教えがあったからなのですね。
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noteの場をお借りしての、三浦梅園ウィーク、明日で終了予定です。
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