noteの森で迷子になったけれど、○○のおかげで生還できた話
▼最近、自由時間のほとんどは、note関係の作業に充てている。
▼小説や漫画を読みたいな、と思っても、スキをつけてくれたnoterさんや、好きなnoterさんの記事を読む方を優先させている。
▼仕事や家事、育児、社交などの、人間生活上、やらなければならないことは、きちんとやっている。
反面、近所付き合いなど、面倒なことも多く、noteでのコメントの交換や企画に参加するなどのやり取りは、気軽でいいなぁ、と思っている。
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今回、暗い森に入り込んでしまい、ぐるぐる回っていました。
あるもののおかげで生還できたのですが、その正体は後ほどお知らせすることとして(時系列でお話しした方が判りやすいので)、
まずは、なぜ、森に入り込むことになったのか、から、始めましょう。
先週、有料記事を書き終えた私は、その間、対処できていなかった、コメントのお返事や、スキを付けてくれた方たちへの訪問などで、
スマートフォンを充電しなければならないギリギリまで、
noterさんの記事を読んでは、スキを付け、
コメントを書き続けていました。
それが、夫の目には、背中を丸めて、一心不乱にスマートフォンに屈み込んでいる、
不健康な姿に見えたのでしょうね。
「洗濯物は取り入れたの?」
「ご飯は炊いてるの?」
あれやこれや話し掛けてきます。
「もう30分してから取り入れる予定なの」
「あと少しで終わるから、その後にやる」
うるさいな、
話し掛けられると気が散る、
放っておいてくれた方が、よっぽど早く終わるのに、
と思いつつも、返事をしないという選択肢はないので、
目は画面から離さずに、そう答えていました。
すると、夫は、
「まるで中毒だな」
と、ぼそっと言ったのです。
自覚はありました。
仕事と家事以外の自由時間は、ほぼすべて、noteの記事の作成や、noterさんとのお付き合いに充てている、という実感があったからです。
中でも、スキを付けてくれるnoterさんへのお返しの訪問は、
楽しいけれど、時間がいくらあっても足りなくて、
それでも、お返しをしないと、二度とスキをもらえなくなるんじゃないか、
昔のように、スキが増えない自分に逆戻りしてしまうのではないか、
そんな不安が常にありました。
目が痛んでも、ドライアイ用の目薬を点して、
スマートフォンに屈み込んでいたのです。
夫の言葉は、痛い所を突いたので、
私は、椅子から立ち上がり、家事に取りかかりました。
夕食後、片付けも終えて、私は再び、スマートフォンを手に取りました。
どこから、どういう道筋を通って、そこに辿り着いたのかは覚えていません。
「炎上」という言葉が、目に飛び込んできました。
noteでも、炎上があるんだ・・・。
好奇心を抑えきれず、その記事に飛びました。
かなりの長さでしたが、全文読みました。
それに対する、批評、批判文、コメントの数々、対比されている別記事等、
導かれるように、読み進め、
一通り、事態を把握した時には、
noteの世界に対して、距離を感じていました。
あれほど楽しく過ごしていた、あのnoteの世界は何だったのだろう。
優しい人たちと、穏やかに楽しく過ごせる場所。
それが、急に、
現実の人を模した、紙人形が配置してあるだけの、
仮想空間に見えてきました。
*優しいお母さん
*学校のベテラン先生
*元気な20代OL
*園芸と映画鑑賞が大好きな主婦
射的の的(まと)のように、ただ微笑みながら立っている人形と、
その後ろにぽっかりと開いている、暗い部分。
たとえ射的の紙人形でも、あの人たちが大好きだったはず。
あの人たちとnoteの世界で出会えて嬉しかった。
でも、もしnote以外の場所で出会っていたとしたら?
仮想空間で出会っていたからこそ、楽しかったのでしょうか?
どこまで信じたらいいのだろう。
仮想空間にいる、優しい人たち。
でも、その人たちにも、現実の生活があります。
もしかしたら、私が考えているような人たちではないのかもしれない。
現実に付き合ったら、面倒だな、と思うような人たちなのかもしれない。
もしかしたら、母性愛の権化のようなあの人は、小さな子を持つお母さんどころか、初老の男性なのかもしれない。
犬好きで、飼い犬の写真を始終アップしているあの人は、実は動物アレルギーで、ペットなど、一度も飼ったことがないのかもしれない。
明日、黙って、姿を消してしまうかもしれない。
突然、名前を変えて、まったく違う文体で、書き始めるのかもしれない。
そんな人だって、いるのかもしれないのです。
noteの中の人と、現実に生きている人とは、同一人物だとしても、明らかに違います。
noteでは皆、こう見て欲しい、という自分を見せてくれます。
だから、私も、そう見ます。
でも、現実世界に生きるその人を見てしまったら、私には、その人の、「そう」ではない部分が見える、きっと見えてしまう。
その時、私はどうすればいいのだろう・・・?
次の日になっても、私は、悶々として過ごしていました。
noteとどう接すればいいのか、
あの、一度感じてしまった距離感は、どうすればいいのでしょう。
まるで、深い森の中で、迷子になってしまったような気分でした。
翌月曜日、勤務後、ロッカー室で、私は、着替えをしていました。
ポケットからスマートフォンをだして、バッグに移す時、
ふと電源ボタンを押してみました。
noteの画面を出そうとした時、モヤモヤが見えたのです。
見覚えのあるモヤモヤが、やがてはっきりとした形を取り始め、
それは、congratulationsのボードに姿を変えました。
スクリーンショットを撮らなくちゃ、と思いながら、画面の文字を見ると、
先週の土曜日に投稿した、「note川柳に挑戦!」の記事に贈られたものでした。
そう言えば、今日は、朝から、トロフィーもボードも送られて来なかった、
有料記事にかかりきりで、それ以外には、しっかりした記事を書けなかった、だから仕方ない、
と思って、考えないようにしていたのでした。
それだけに、夜の7時に、思いがけなく送られてきたボードを見た時には、
嬉しさで、胸のつかえが一気に取れたような、霧が晴れたような気持ちになりました。
指がすべって、スクリーンショットを撮る前に、画面は消えてしまいました。
いつもの私なら、がっかりするところですが、
その時は、お祝いボードの出現があまりにうれしくて、
消えてしまっても、確かにこの目で見たのだから、大丈夫、
と思えました。
そして、このお祝いボードが、迷子の私を、深い森の中から連れ出してくれたのです。
みんなのスキが詰まった、お祝いボード、
その道案内によって、私は、無事に、迷いの森から戻って来ることができました。
▼noteはキラキラした夢の国でもお花畑でもありません。
それまで出会えなかった人同士を結びつけてくれる場所です。
▼軸足を現実世界に置いておけば、note中毒になる心配はありません。
ただし、PCやスマートフォンを見る時には、姿勢に気をつけましょう。
「スマホ首」や「肩凝り」、「ドライアイ」には要注意です。
▼記事を書く時には、読む人の目線から、不快な表現や、誤解を招く内容になっていないか、チェックをしましょう。
▼カーボさんも、その著書(『圧倒的にわかりやすい!note初心者入門ガイド』)の中で書いていらっしゃいますが、noterさん達とのスキやコメントのお付き合いが、時間的にあまりに負担になるようでしたら、「割り切る」ことも必要です。
記事を書く時間が取れなかったり、睡眠時間を削らなければならないようでしたら、それは本末転倒です。
今日は、かなり長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
無事生還できた私ですが、同じようなことで疑問を持ったり、まだ森の中で悩んでいたりする方の、お力になれれば幸いです。
あなたのスキ、コメント、フォローに、心より感謝いたします。
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