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帰ろう|藤井風 【あの頃、おしゃれポップと|#4】

いきなり秋が畳みかけてきている。
窓を開ければ、気持ち良い風が吹いてきて、なんかもうずっとこのままの気候でいいじゃん〜と思ったりする、今日この頃。

第4回は、藤井風「帰ろう」。

2024年10月、私は変容の真っ只中にいる。
数ヶ月、いやもしかしたらここ1年ちょっとくらい拭えなかったうだつの上がらない感じ、自分を燃やすものがない感じ。
まだ全然あるけれど、でも少しずつ「こっちなのかな」という兆しが見えてきたような気がする。

正直やりたいこと、自分を燃やしたいものはまだ見つかっていない。

でも、何に触れると自分のエネルギーが下がるのか。
「やりたくない」に自覚的であることはもちろん、無意識に自分が迂回したいものにも少しずつ気付けるようになってきた気がする。

「自分に自信をつける」に一生懸命だったけど、同時に「足りない自分も受け容れる」が進んだ感じもしている。
こんな自分でも、今が史上最高傑作なのだ。
大丈夫かは知らんけど、まあなんとかなりそうではあるのだ。

何が言いたいかは書いている自分もわからなくなってきたが、こんなタイミングに最も効果を発揮するのが、藤井風である。

幼い頃から、大切に育ててもらってきたけれど、
親からの期待や、周囲からの無意識の圧力によって、きっと20代後半に至るまで「誰かの人生」を生きてきたのだと思う。

そのままでも別に悪くはないんだろうが、私の場合はそのスタンスでいると起こる色々なことに対処できなくなった。
だから必死に「ひとりでできるもん」を証明しようとしてきた。それが30歳前後の私。

実際、一人で自律して生きるは、なかなかよくやっていたと思う。
その私も、健気で儚げで嫌いじゃなかったし、そこそこイケてたけれど。
まあぶっちゃけていうと疲れたのだ。もっと甘やかしたいのだ。

今のモードは「生かされてみよう」だ。
全部自分で決めて全部自分でなんとかすることは、楽だし、それもそれで自由ではあるけど。

もっと大きなものに流されてみよう。
ご縁やタイミングや直感や感性に委ねて、無意味そうなことにも好奇心を向けてみたい。

今はつながりが見出せなくても、そのうちつながってくる気がするのだ。
いま想像できる範囲の人生で終わらず、もっと大きな豊かさや幸せとなって帰ってくるような、そんな予感がするのだ。

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