見出し画像

結婚後、過食嘔吐がいよいよ…

ダイエット歴を綴っています。
今回は30年前、20歳の頃の話です。

ダイエットが成功して数年後、
なんかしんどい。朝起きられずに辛い。
血の気が多く、イライラしてるかと思えば、落ち込みが酷く、自分を責めてしまう。すぐに涙が出る。


休日は朝からずーっと食べています。
食べなければいられない感じでした。
休憩中のお菓子が止まらなかったり、自分でも何かわたしってヘンじゃない?と思うことはありました。


けどまだまだイケイケ時代。
まだ体重も体型も許容範囲内。
元々着痩せすることもあって、
好きな服を着れていればわたしはハッピー。
わたしの人生はわたしの思い通りにいくと信じてた時代です。


でも仕事は正社員からパートに変更して勤務時間を減らしてもらわないと、しんどくてたまらなくなりました。
わたしって"怠け"やな、と思っていました。
家族にもそう思われていたと思います。
だってたくさん食べるのです。
体が悪かったら食べれないものだとみんな思いますよね。
それに夕方になってくると元気が出てくるのです。
(これらにも理由があったのです。それはまた後ほど。)



早く家を出たくて、その頃付き合っていた彼を両親に紹介すると、両親も色々と思うところはあったはずなのに、何も言わずにとても可愛がってくれました。



そして20歳で結婚します。
今思えば、わたしの両親に全て、おんぶにだっこの結婚生活でした。



早く家を出たいなら、早く自立をして独り立ちすればいいと、今なら分かるのですが、その頃のわたしにはその選択肢は存在しませんでした。


わたしの小学生のころからの夢は
"おかあさん"だったからです。
自分がおかあさんになったら、子どもには
こんな風にしよう
あんな風にしよう
こんなことは絶対にしない
こんなこはとは絶対に言わない

と考えていました。
自分の家庭を持つことへの憧れは子どもながらに強かったと思います。


それは20歳になっても変わらず、結婚をして相手に尽くせば、男性は必ず家庭を守ってくれるものだと真剣に思っていました。それが当たり前だと。


幸せですね、この頃のわたし。
父のことは、その頃は大嫌いだったけど、
『父親とは家庭を守る人』を体現していて、そんな環境で不自由な思いは一切せずに育ってきた故の夢子ちゃんだったからなんですね。 
しかし当時のわたしは、そんなことに気づくはずもなく、本当にまだまだ子どものままでした。



父とは真反対の優しい彼と結婚し、両親が良くしてくれることを当たり前だとも思えていた、幸せな時代でした。


しかし結婚後、体重が増え始めます。
朝は毎日5時に起きてお弁当を作り、仕事帰りにスーパーに行き、夕飯の用意をする。
普通に誰でもしていることが、自分にはとても辛く、こんなはずじゃないのにと、思い始めてる頃でした。


ダイエットしようと決意しても、過食の欲求が酷くて、
夕飯に作った何人前もある、彼が大好きなポテトサラダを
味見したが最後、全て食べ尽くしてしまったり、お鍋のお味噌汁を飲み尽くしたり。
自分はなんて恐ろしい、なんて卑しい人間なんだと、空になったボウルを呆然と見ていたのを今でも覚えています。彼のために少しも残せない異常な自分のことを、彼に言えず、とても苦しかったです。


今思えば、良い奥さんであろうとすればするほど、理想の自分であろうとすればするほど、苦しくなっているようで
した。


仕事中も頭の中は食べることでいっぱいになってきて、太くなっていく足やお尻を鏡で見るたびに辛くなり、今までの服は着れなくなり、何気ない同僚からの『あれ?太った?』に心底傷つき、また人目が怖くなり出した上に、抵抗しようのないこの食欲と対峙するのはもう辛すぎて、わたしはコンビニで、普段我慢している菓子パンやお菓子などを好きなだけ買い込み、そして吐きやすいように、たくさん水分を摂りながら、普通ではとても食べきれない量を全てを食べた後、喉に指を突っ込みました。

なんとも言い表せない、自分を全否定する感じ。
本当にわたしはあなたが嫌い。
でもそう思うのも束の間、また何か無性に食べたくなって、冷蔵庫を漁り始めて、自己嫌悪に襲われ続けます。


最初は『今日だけ』のつもりだったのに、そんな日がだんだんと増え、ついには彼がいる日曜にも欲求を抑えきれなくなり始めます。

長くなってしまいました。
また次回、続きを書こうと思います。




いいなと思ったら応援しよう!