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【癌日記】夫の実家の墓に入りたくない問題について実際に帰省してみたら?

年末の帰省の前に「音の実家の墓に入りたくない問題」を日記に書いた。

あのときは、本当に寂しい気持ちでいっぱいだった。そんな気持ちがありつつも年末に夫の実家に帰省した。

実際のところは帰省したけれど夫だけが実家に泊まり、私と娘たちは上記のYoutubueのようにホテルに泊まって朝ごはんを食べて夫の実家に向かい、お昼を食べて、首の骨折で入院している夫の母のお見舞いに行き、ホテルに戻る時間を過ごした。

わたしとしてはもうこれが精いっぱいという気持ちだった。

ただびっくりしたのは、夫の母の病院での様子。

骨折した首をささえるため、頭にボルトを入れて肩で固定する特殊な器具をつけてベッドにちょこんと座っていた。

本来は私よりも10センチ以上身長が高いはずなのに、20センチ以上縮んで私よりも小さくなったようだった。

足は圧着ソックスで黒くなり顔色も悪かった。

それなのに、私のようにビービー泣き言を言わない。口にするのは「悔しい」「こんなになってみんなに迷惑をかけて申し訳ない」「悔しい」。

一番口にする回数が多いのが「悔しい」だった。

わたしは自分の状況を「悔しい」と表現することはあまりなくて「悲しい」と言うことが多い。

この時点で夫の母には人間としての器で負けているなと思った。もちろん勝ち負けではないんだけれど。

部分麻酔でがりがり音をさせて頭に器具を固定するボトルを頭蓋骨に入れられるのを自分で聞いて乗り切った夫母の話を聞くだけで私のほうが体調が悪くなりそうだった。

夫母はこんなになっても「お父さんを1人にしておけない」「絶対に治って帰るんだ」と何度も自分以外の人を気遣う言葉を言う。

これはおそらく治ってあと20年ぐらいはきっちり生きる気力が満々だなと感じ、いやもう降参ですという感じだった。

そして夫母はこんな状況でも、夫姉に電話で指示をしてわたしたちが何もしなくても楽しく実家でお正月を過ごせるように手配を整えていた。
いや、この点でも降参。

降参というか、夫も母も夫の姉も、私たち夫婦には何も期待はしておらず、自分たちできっちりやっていくという気概にあふれていた。

もちろん私たちが何かを手伝うことなど期待もしていない。

私がどこの墓に入ろうがまったく気にする気配もなさそうで、なんだか少し気持ちもすっきりした。

それなら別に早々に言ってモヤモヤさせる必要もなさそう。

私たちは自分たちのことに集中して自分たちの健康としっかり向き合って子供を育てることだけを夫の母からも夫の姉からも求められていることをしっかり認識した。

年末年始の休暇中、新年の目標をたてた。

その中に夫の母と夫の母を見てくれている夫姉に定期的に電話をするを入れた。

長男の嫁としては多少自分が情けない気持ちもするけれど、故郷を出て関東で生活することを私たちが選んだ時点で、今の状況も恐らくすでに選んでいたのだろうと思った。

気遣いや気持ちを伝えることから今更だけど連絡から初めて行こう。
顔を見せられるときに見せればいい。

なんだか夫母にとっても、夫の姉にとってもどうでもいいことを大げさに騒いでいた気がする。

このマガジンは私が49歳で卵巣癌と子宮体癌に罹患した日々の自分と家族の記録です。娘(高1)娘(中2)夫&猫の4人と1匹ぐらし。ワーママ。何とか1日でも健康に命をつなぎたいと毎日試行錯誤しています💦
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