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松岡和子さんとシェイクスピア

英語で書かれた原書を、その時代の言葉遣いや時代背景を考慮しつつ、現代の言葉で訳していく、、、
「翻訳」という仕事は、緻密で難しく、答えがない、決して誰にでもできる仕事ではないと思います。

そんな素晴らしい”翻訳家”である、松岡和子さん。
この度、シェイクスピアの戯曲37作品全ての翻訳を終えられたのことで、
昨日4月3日に松岡さんご本人から、これまでの道のりをお聞きする会がありました。松岡さんの温かいお人柄や翻訳に対する向き合い方など、たくさんのことを学ぶことができた時間でした。

そんな昨日の講演を自分なりの言葉でまとめ、振り返ってみたいと思います。


そもそも自分とシェイクスピア作品の出会いは、卒論で『ハムレット』を扱ったことがきっかけ。
その際に、日本語訳として、松岡さんの訳を引用させていただきました。
多くの方が『ハムレット』を訳されていますが、言葉遣いや言い回しが、個人的に一番びびっとくるものが松岡さんでした。

それもそのはずだと昨日の講演を聞いて改めて実感します。

(1)「色んな人に折々出会って、道を作っていただいた」
講義が始まると開口一番に、これまでの自身の歩みに対して、周りの人が道を作ってくれた、と感謝していました。相当な実績を残してきた方なのにも関わらず、この謙虚な姿勢は一生見習っていかなければならない生き方だと心の底から思います。

(2)楽しいや好きという気持ちが原点
英語が好き、演劇が好き、という気持ちがあり、大学時代に劇に参加したり、戯曲の講義を取り始めたり、、とにかく、演劇に関わり続けていたそうです。
そして、大学卒業後には劇団の研究生になられたとのこと。(しかし、両親は猛反対)将来的には翻訳家となり、今やシェイクスピアの戯曲翻訳の第一人者と言っても過言ではないお方ですが、当時はそんな未来を知る由もありません。”好きだから”向き合い続けた姿勢が、数々の翻訳作品完成へと導いたのだと思います。

(3)しかし、最初はシェイクスピアから逃げていた
この点が、一番驚きましたし、興味深かったです。シェイクスピアを学び直したいと思い大学院に進んだものの、エリートしか翻訳できない、と「逃げた」そう。しかし、部分翻訳から始まり、最終的には全編翻訳せざるを得ない状況になったとのこと。(なんだか、宿命のようなものを感じます)

(4)稽古場という現場が好き
松岡さんの翻訳との向き合い方で素敵だなと感じたのは、自分の訳を使用する劇の稽古場に自ら参加し、その時のキャストや、演出のダメ出しの内容で臨機応変に変更していく点です。現場は、”トライ&エラーの場”と表現していたのが印象的でした。一度完成したら、終わりではないんですね。
色んな観点でシェイクスピアの原文を見つめ直し続けてきたからこそ、素敵な訳へと仕上げることができたのだ、と大納得した瞬間でした。

(5)翻訳には、終わりがない
上記にも記載しましたが、翻訳は一度完成して終わりではなく、その先もずっと原文と向き合っているようです。例えば、1995年に一度訳し終えた『ハムレット』の翻訳で、2019年に森新太郎演出の下で上演する際に、台本作りの段階で新しい気付きがあったとのこと。「分かったつもりでいると、ガーンとやられる」それが、シェイクスピア作品です、と仰っていました。

(6)シェイクスピアへの尊崇
「シェイクスピアのセリフには、全て意味がある」この発言は、37作品全てを訳し終えた方にしか発言できない言葉だなと感じ、鳥肌が立ちました。
約2時間のお話の中で、心からシェイクスピアを尊敬し、作品を愛してきたということが伝わってきました。
周りの人にも、作品に対しても、リスペクトの気持ちを持ち続けていた松岡さんのスタンスは、自分も見習わせていただこうと思います。

以上が、昨日の松岡さんのお話を自分なりにまとめた記録となります。
シェイクスピアの作品に出会えて、松岡さんに出会えてよかった。
松岡さんのお人柄や仕事への向き合い方は、今後の自分の生き方に参考にさせていただきたいと思っております。
この場を借りて、感謝申し上げます。

5月に最後の作品『終わりよければすべてよし』が発売されるとのことで、今からとても楽しみです。
しっかり予習してから、舞台を鑑賞させていただきます。

今の自分は、向き合わなければならない現実がたくさんあるけれど、好きなことは手放さず、大切に継続して行こうと思えました。


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