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アンプラグドでコンテンポラリーな舞台『陰陽師 生成り姫』
2022年2月22日に初日を迎えた舞台『陰陽師 生成り姫』。2日目の2月23日に観劇してきた。
舞台を観るのは久しぶりだったので、演者の熱意や目の前でセットが転換される手触り感に「そうそうこれこれ!」と舞台の魅力を思い出しながら観劇していた。
今回の舞台は、あっと驚かされた部分が多かった。
前日まで原作を読んでいたので、既に自分の中でキャラクターの人物像が固まっていた。その人物像と一致する部分もあれば、全く想像していなかった部分もあって、観ていて楽しかった。
「舞台ならではの表現」「舞台オリジナルのストーリー」「個性豊かなキャラクターたち」がマキノノゾミさん(脚本)× 鈴木裕美さん(演出)が手がけた舞台『陰陽師 生成り姫』の魅力だと思う。
このnoteでは、自分が舞台『陰陽師 生成り姫』を観て感じたことをひとつずつ綴っていきたい。
舞台ならではの表現①コンテンポラリーダンス
(当然だが)原作にはなく、舞台ならではの演出として魅力的だったのが、コンテンポラリーダンスだ。
曲に合わせてテンポよく、のびのびと体を動かしていくパフォーマンスは、観ていて気持ちがよかった。とくに、冒頭にくるくると回転していた女性が印象に残っている。
ダンスでキャラクターたちの心情や、水飛沫、鬼の恐ろしさを表現していたことにより、視覚的に感情や状況が伝わってきた。
舞台ならではの表現②精霊たちの個性
(こちらも当たり前だが)本では、精霊たちの様子はよくわからない。
安倍晴明や源博雅など人間たちは、言葉遣いや行動でどんな人物なのかを想像することができた。
だが、精霊たちは「そこに精霊がいる」という情報しか分からず(事務連絡は晴明としていたが)どんな様子でそこにいるのか、どんな性格なのかは見えてこなかった。
一方、舞台だと彼らのキャラクターがとてもよくわかった。
博雅の笛を楽しそうに聴いたり、博雅の反応にクスクス笑ったり、晴明のことを心から慕っていたりと、精霊とはいえ人間味であふれていて愛しかった。
こんな精霊たちが近くにいたら愉快なんだろうな、と思う。
精霊たちの中でお気に入りの場面は、晴明が蜜虫を扇で仰いだら吹き飛んでしまったところだ。蜜虫は人間に対して生意気で、そこが非常にかわいかった。
舞台ならではの表現③アンプラグドな演出
演出・鈴木裕美さんが舞台の見どころのひとつとして挙げていたのが「アンプラグド」にこだわっているということ。
アンプラグド
生楽器だけで演奏すること。(電気を使わないので)プラグを通さない
『陰陽師 生成り姫』において、物語の鍵を握るのは「音楽」だと思う。
数々の楽器の演奏が、本当に綺麗だった。
名奏者・博雅の笛の音は、非常に美しいが、聞いていて切なさも感じる。それは1人で演奏していたからだろうか。
暴走する鬼を止めるために演奏した、蝉丸の琵琶の音は、力強さがあって耳に残っている。
そして、鬼が出現した際の音楽。じわりじわりと迫ってくる感じが音楽で伝わってくる。怖い、不気味、くるぞ、と恐怖を煽っていた。
劇中の音楽は繊細で丁寧で、『陰陽師 生成り姫』の世界観にぴったりとハマっていたと思う。
舞台ならではの表現④人力の演出
舞台『陰陽師 生成り姫』を観ていて「人が作っている」と感じた場面がたくさんあった。
例えば、巨大化した鬼(舞台オリジナル)の場面。最新技術を使わず、6〜7人が手や足、顔などのパーツとなり、1体の鬼として登場していた。
全員で呼吸を合わせなければ成り立たないと思うが、しっかりと1体の鬼として観ることができた。鬼を演じるキャスト、1人ひとりが大きく体を動かしていたのが印象的だ。
まさに「人が舞台を作ってる」と感じた瞬間だった。
物語に厚みが出た舞台オリジナルストーリー
ネタバレになるのであまりハッキリとは言えないが、後半は原作にはない舞台オリジナルの展開だった。
晴明の人間味がよく表れていた脚本だったと思う。どれほど博雅のことを大切にしているのかがわかったストーリーだった。
そして晴明が博雅のためにあることを行うのだが、それが個人的にお気に入りの場面だ。
舞台オリジナルの脚本は原作の大事なエッセンスを上手に抜き取り、そのエッセンスをさらに膨らませている。より人間ドラマとなっていた舞台『陰陽師 生成り姫』だった。
個性豊かなキャラクターたち
最後に、舞台『陰陽師 生成り姫』に登場する個性豊かなキャラクターたちの演技の感想を紹介していきたい。
安倍晴明
さすが三宅健さん。これまで『羅生門』(19)『藪原検校』(21)など時代ものを何作品も出演しているということもあり、舞台の演技に貫禄がある。演じているというよりも、三宅健さんそのものだった気がする。呪術を唱える様子も自然だった。博雅を通して、安倍晴明の感情がみえた。
源博雅
源博雅が持つピュアさや真っ直ぐな正義感が林翔太さんによって存分に出ていた。自分が想像していた源博雅像よりも明るく、優しい人柄で、こっちの方がずっと好きだ。
徳子姫
パンフレットにも書いてあったが、宝塚で男役の経験もあるからか、音月桂さんの鬼の演技はリアルで恐ろしい。姫のか弱さと生成りの力強さが共存していた。鬼の場面はもちろんだが、それ以外で印象に残っているのは、綾子姫が飛天を地面に叩きつけた場面である。飛天を抱きしめながら泣き叫んでいた様子は、心から楽器を愛し、大事にしていたことが伺えた。
綾子姫
とんでもなくわがままな姫なのだが、太田夢莉さん演じる綾子姫はどこか憎めないキャラクターだ。召使いを雑に扱う様子や、琵琶がヘタクソな様子が見ていて楽しかった(綾子姫が琵琶で演奏した曲がおそらくディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で、演出に遊び心を感じた)。綾子姫がいたから、徳子姫の悲しい境遇が際立ったのだろう。
多くの人の魅力が合わさり完成した舞台『陰陽師 生成り姫』
脚本、演出、演者、そして多くのスタッフのみなさんのおかげで大満足できた舞台『陰陽師 生成り姫』。
原作者である夢枕獏さんに感謝をしたいと思っている。やや固めな印象のある歴史ものを、やわらかく、現代に寄せて表現してくださった。
夢枕獏さんのような作家さんがいるから、私たちは古典を読んで「こんな楽しい時代があったんだ」と発見できたり、今も往々としてある問題に「この頃から今と同じような悩みを抱えていたのか」と共感できたりする。
総じて『陰陽師 生成り姫』という素晴らしい作品に出会えてよかった。
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