みずからに由る
やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 芭蕉
二十四節気、こよみの上では小暑。
夜になるとはや虫の音が聞えていた昨今ですが
本日朝、蝉が鳴き始めました。
自然の営みで季節のかわりゆくのを感じられることは
本当にぜいたくなことだとつくづく思いますね。
学生時代、国文学専攻の先輩が
「私ずっとぶりっ子だったんだけど、変わったの」と教えてくれた
当時信奉する人物が鈴木大拙でした。
本日、その著作について
わかりやすく説明している動画に出会ったのでシェアします。
大拙は著書の中で
松は竹にならず 竹は松にならず
各自がその位に住することを
「松や竹の自由」といい
その拘束なきところを自分が主人となって働く、
そのものがそのものであることをさしています。
明治時代の日本に
「Freedom」や「Liberty」という言葉にあたる
日本語を探した結果
仏教由来の「自由」をあてたのだといいます。
そしてその自由とは
自身の本質に従い
自分の意に即して
自然のままに生きること
だといいます。
西洋でいう
何か拘束されるものから解放されるという
勝ち取った「自由」とは全く別のものですね。
大拙が全世界に伝えた「禅」とは
何ものにもこだわらないこと
すべての不自然の妨害からの離脱 でした。
対立する世界を超えるあり方、見方として
今後ますます求められていくように感じます。