静寂のすすめ
シェアハウスの外で何やら騒音が聞える。
窓から見ると、道路脇のごみを吸い取る掃除機の音だ。
机に向かっていても集中できず、
邪魔になるほどの音だが
音を出している当人たちは
ただ現代のやり方で景観を保つための掃除をしているだけだ。
その音も、
かつてであれば箒で掃くすがすがしい音だったろうが、
現代の文明の利器によって「騒音」と化しているのが残念だ。
音といえば、以前竹林の整備作業をしているとき、
近くの広場らしきところから
音響を使って歌の練習をしているのか
竹林の静寂に全くふさわしくない
大音量の歌声が響き渡って不快になったことがある。
近隣から苦情が届いたのか、しばらくして静かになったが
近日に広場で行われるイベントでの出演者のリハーサルだったようだ。
その歌自体は下手ではないし、曲自体も嫌いなものではなかったが
音響を使って不必要に大きな音量の人工音となっており
その現場にいる誰もが不快感を感じていた。
テレビのコマーシャルも
エンタメ化した多くの番組もただ騒音と化している昨今。
先日広告による「視覚汚染」という言葉を知ったが、
騒音が日常化した毎日で
「音汚染」にも麻痺してしまっているのではないかと思う。
イヤホンをして
外界の音をシャットアウトして
自分の好きな音楽だけを聴いていれば
リアルな環境での音に鈍感でもいられるのだろうか?
何もしなくても押し寄せる情報の波
視覚汚染に音汚染・・
私たちは無意識のうちに、日々かなりのストレスにさらされているはずだ。
夕方散歩道で出会うつくつくぼうしの鳴き声や
風にそよぐ竹林の声は
無音ではないけれど静寂である。
日本の庭や茶道が全世界の人を魅了してやまないのは
このひとときの静寂を感じられるからではないだろうか。
たぶん本当に必要なものはそんなに多くない。
けれどその大切なものを
行き過ぎた何かの代償に見失っていないだろうか。