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私は、味わいたい

言葉にできないことへの苦しみ。
誰にでも経験のあることだと思う。

私は、人から誤解されることが多い。
できるだけ正確に私を伝えたい。
そんな思いがあって、文章を通して言葉で伝える練習を重ねている。

だけど、そもそも私というものが何か。
自分でわかっているだろうか。

わかっていない。
だから、言葉にできない。

これは、考えていないとも言える。
考えているようで、考えていない。

すでにある言葉の中から、自分というものを探している。
誰かが考えた言葉。
その中から、自分に近いものをパズルのピースみたいに繋げ合わせていく。

言葉を得ることで安心する。
だけど、考えていないから脆い。

「考える」は、つまり「味わう」ことだと思っている。
自分の感性を味わう。

何かを口にしたとき。本を読んだとき。景色を見たとき。
自分の中で流れが止まる瞬間がある。
そのとき、いいと思ったのか、今一つだと思ったのか。
それは、なぜなのか。

知っている言葉をすべて捨て、
感性の輪郭をたどっていく。

これが味わうことであり、
考えること。

感性は人によって異なるもので、
正解などない。

正解を探している人は
誰かの感想や言葉を無意識にたどってしまっている。

それは、本当に共感していると言えるのか。
本当に考えているのか。


響く言葉、響かない言葉の違いは、
いかに自分で味わっているかなのだろう。

私は、自分で味わう人でありたい。

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吉野千明
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