先生、漢字の「とめ」「はね」に苦しまないで
突然ですが、みなさんは次の漢字のどちらが正解かわかりますか?
正解は…
…
…
…
「どちらでも良い」です!!!!!
どちらが正解?と聞くこと自体、「問い方の罠」にかけてしまっていますね。
すみません。
今日は、そんな漢字にまつわる正誤から考えた教育についてお話します。
漢字の「とめ」「はね」ができなさすぎ!と怒る先生
考えの発端は、 過去に自分が聞いた先生からのお説教。
漢字の小テストについてこんなことを言っていたんです。
みなさん、「とめ」とか「はね」とか「はらい」ができてなさすぎるんですよ。
あれだけ口酸っぱく「違っていたら×にする」と伝えたのに。
気をつけましょう!!
な、なるほど…。
字の「とめ」や「はね」かぁ…。
ちゃんとその字だとわかればいいのではないかなぁゴニョゴニョ…。
と思わず、心の中でつぶやいてしまったのでした。
漢字教育の本来の目的は?
そんな小さな会話をきっかけに、「そもそも論を考える」時間発動です。
そもそも、国語の授業で漢字を教育するのって何のためなんだっけ?
中学の学習指導要領を引用してみると、
【第一学年】 (ア)小学校学習指導要領第2章第1節国語の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という。)に示されている漢字に加え,その他の常用漢字のうち250字程度から300字程度までの漢字を読むこと。
(イ)学年別漢字配当表の漢字のうち,900字程度の漢字を書き,文や文章の中で使うこと。
とある。ふむふむ、つまり各学年ごとに習う漢字が決まっていて、それを「読める」「書ける」「文や文章に使える」ようになるのが目標だということですね。
そして、その手段により他者とコミュニケーションが取れるようになることが上位目的なのだと思います。言い換えれば、漢字は、相手にやりわかりやすく伝えるためのツールであるとも言えそうです。
確かに、丁寧に字体を組み立てられてないがために相手に伝わらないことは、子供にとって将来不利益になりそうですよね。(いわゆる「字が汚い」)
でも、もし丁寧な字体で誰が見てもその字だと伝わるのに、「とめ」「はね」がしっかりしていないと×だったら、どうしてなのか説明できますか?
本当に「とめ」「はね」がないと、全てが誤った使い方になるのか?
では、本当に「とめ」「はね」がないと全てが誤った使い方になるのでしょうか?
実は、2016年に文科省が指針を改めて発表していたんです。一部抜粋します。
(ご存知の通り、だったら再確認程度にどうぞ)
つまり、漢字の決められた骨組み(字体)さえあっていれば、細かい「とめ」「はね」(字形)が違っても通じるもの、というのが公式ルールであり、「正しい使い方」だということです。
この記事の冒頭で質問した「木」の漢字がどっちでも正解なのも、毛筆での書き方や印刷の字体に違いがあることが関係しているようですね。
字形が違っても、字体が適切なので、二つの字はどちらも「木」なのです。
本当に伝えたいのは、国語科批判なんかじゃない!
以上のように、理論で語ってみたんですが、実は自分の本音は「だからその先生は間違っている!」と言いたいわけではないのです。
国語の先生批判でも全くありません。
わたし自身、一点刻みで、減点式に、目を皿にする教育に疲れちゃったよぉ〜〜!
というのが、本当に言いたいことなのです。これが本音です。
その先生も、「とめ」「はね」の乱れを見つけるたびにため息をついていて、とてもじゃないけど楽しくはなさそうです。
もちろん、「どう見てもこれは字体から誤り!」という解答もあったようですが、個人的には「う〜んそれは○でもいいんじゃないかなぁ」という解答も少なくありませんでした。
そんな目的不在のストレスが溜まっていって、「とめはねが合ってない汚い字」を書く子というレッテルが、その先生も子供も苦しめるような気がしてならなかったんです。
だから、わたしはその重い鎖みたいなものを一つ外す気持ちでこう言いたくなったんです。
「先生、漢字の「とめ」「はね」に苦しまないで」
みなさんは、どう思われますか?
🖋あとがき
ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
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