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ゲームは酸素ボンベ

わたしにとって、ゲームは酸素ボンベだった。

今も大好きなゲームをぽちぽちとやりながら、不意にそんなことを思った。

ゲームに最も没頭していた学生時代を振り返る。

学生時代の人生のタスク:勉強・学校生活に全力で取り組んでいた私にとって、ゲームをプレイすることはただの自由時間とかではなく、現世から離脱するために必要な装置だった。

息継ぎせずに泳ぎきった現世の合間に呼吸するための酸素ボンベだった。

勉強もせずにゲームに熱中していたら、親も怒ったかもしれない。
だけど成績は学内では大層良かったし、学級委員だの副部長だの、学生が持ちうるステータスを手に入れてたので、一切文句はなかったな。

だからゲームとのそういった関係性を邪魔するものは何もなかった。

大学生時代、酸素ボンベとして使ってきたからこそ苦しかったことがある。

学生時代のようにがむしゃらにやるべきことをこなしているうちは、やることの海を泳いでいるうちは、酸素ボンベ機能が充分に役に立っていた。
しかし大学生時代、最低限の課題と授業をこなせば良くも悪くも単位は取れちゃう訳で、多くの自由時間があった。

やるべきことの海が浅くなった。

他にやりたいことがいまいち思いつかなかった。
その虚無感を埋めるように、ゲームの世界に潜って無理やり酸素を吸いまくった。もういらないのに吸いまくった。

だから余計に苦しくなった。
ゲームをやめて、ふと現実世界に帰ってくるともっと息ができなくなっていた。ますます虚無感が増した。

いまはどうなんだろう。
やっていても苦しさはないな。
昔より目の疲れを実感するようになったくらい。

休職時に書いた記事以来、いまだにゼルダの伝説はよくプレイして楽しんでいる。

いまの私にとっては、生活のパートナーくらいになったのかな。

人生の中でこれからも少しずつ関係性が変わりながら、それでもずっとゲームはやっていくんだと思う。

みなさんにとってすごく大事な意味をもつ趣味やモノはありますか?


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< 自己紹介 「7つの習慣と教師とわたし」>






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