想い出はモノクローム
幼稚園の頃、赤羽アピレの地下にあったラーメン屋のお子様ラーメンの味が忘れられない。もう一度食べたいが、今は閉店し、店の名前も分からない。
ショーウィンドウ、テーブルに乗ったラーメンの味、おまけのおもちゃだけ頭に残っている。
昔々の様々な記憶。
モノクロームになっているそれは、たまに色付き、フラッシュバックして目の前に現れる。
最近、その数が多くなったのは、アラフォーに近づいたせいなのか。それとも高齢の親の病気、介護の末に、いずれ天涯孤独になってしまう時が来る段階のステップとして、肉親と過ごした時間を本能的に思い出しているのだろうか。
いずれにせよ、どこに行ってもお前は赤羽から離れられないんだぞ、と神のお告げのように誰かに言われているようだ。
いっそまた赤羽に戻ればいい。
しかし最近住みたい街の上位になり、どうしたものか赤羽台団地の後を引き継いだURのヌーヴェル赤羽台も、家賃は軒並み高い。
それこそ、透析クリニックや総合病院で準夜と夜勤、呼び出しも含めてフルで働かなければならない。
それはもう、これからの自分のライフスタイルでは無い。
いつか地方に移住をするのも考える。
最近空気感が好きな場所はある。
岡山・倉敷近辺、京都も良い。
細々と写真を撮りながら、山奥で仙人のように生活するのもいいではないかと、夏に美観地区を撮りながら思っていた。
しかし考え始めると、なぜか必ずその後に赤羽に写真を撮りに行く機会が生まれ、懐古的感情で引き戻されてしまう。
つかみかけた熱い腕を振りほどいて君は出ていくようなアリス的チャンピオンの強い意志は、まだ出てはこない。
移住するときは誰にも行き先も何も言わず、夜逃げのように静かに移住するつもりだ。
ある程度、仕事はどうでもいい。
とりあえず使えそうな資格は持っているし、何のために医療系資格を取ったのだ。
どこでも使えなければ意味が無い。
ただ、これが意外とそうでもないのかもしれないと感じる。
社会は意外と冷たいということは、以前のnoteでも書いた。
個人的な事情も関係はしているのだが、今の場所はタイミング良くラッキーだっただけだ。
本当に、感謝しかない。
ただ、今までずっと、極めて狭い世界でしか技士を見ていなかった。
偏った考えになっているのは重々承知しているつもりだ。
しかし今後業界に留まるかは、不透明である。
赤羽に居られないのなら、せめて近くにいろ、という事か。
やはり赤羽という街が魅力的であるのは変わらない。
だから赤羽に来て新しく住居を構え、仕事をし家庭を持ち、生活をしていく人が増えている。
それぞれの人々の営みによって、赤羽は更に発展していく。
生まれ育った街という確実なフィルターが無くても、この街に浸っていただろう。
街を包み込む空気感全てが大好きだ。
しかし住んでいた場所も、卒業した小中学校も、遊んだ公園も、今は無い。
懐かしいと想うものは、今は街を包む空気感だけである。
幼き頃から過ごした街は今、光の速さで変化し続けている。
でも、これでいいのだろうか。
街並みが変わり、その場所に居た人、その場所に今居る人は、果たして街とともに成長し、変わっていくだろうか。
当たり前だが、人間は年齢と共に成長していく。
しかし、人間の本質は、そんなに速く変化するだろうか。
街の発展と相反するように、“人の心”は置き去りになり、忘れ去られ、いつしか壊れていく気がするのだ。
街が ―かわっていく―
自分の知っている街が ―かわっていく―
自分の心は ―こわれていく―
壊れた場所は、もう二度と目の前には現れない。
0.1秒先の未来には、もう違う景色が存在している。
過去は全て、平面的で無機質なモノに変換させるか、いずれ消えて無くなり他人からは決して見ることが出来ない人体の一部分にイメージとして残るか、その2つしか選択肢はない。
もしかしたら、人間の ―自分の― こわれていく過程の心を、写真で埋め戻す作業をしているのかもしれない。
その作業は、すなわち変わりゆく街の ”今” を、残していくことではないか。
懐かしさを感じると同時に、人間が忘れかけていた何かを、この街を歩くと思い出すような気がする。
気がするだけで、具体的な何かは、まだ言葉に出来ない。
だから、写真を撮る。
赤羽の“今”を、その全てを余す所なく切り取りたい。
人もビルも道路もネオンの輝きもマンホールも。
街に溶け込む全てを。
それはおそらく、自分は何者なのかを考えるプロセスだ。
なぜこの写真を撮るのか、何を伝えようとしているのか、なぜ自分は生きているのか…
まあでも、これらの言葉は全て後付けだ。
本音はただ、街の写真を撮りたいだけだ。
生まれ育った赤羽という街を、写真に撮って残しておきたいだけだ。
あまり言葉を使って説明的になってもね、よくないし。
これから先、赤羽に行くことがこれまでより確実に増える。
ある程度、この先の作品制作への道標が示された10月末、悩みは解消されたわけでは無いが、少しの自信を持たせて頂いた事に感謝する次第。
むしろ、この1ヶ月間の流れは、これで良いのかもしれない、こういうのが自分に合ったものだと気付かせてくれた。
それはある意味、必然だったような気がする。
前のnoteで、"後ろを振り返らずに、色々考えなければならない" と書いたが、自分にとっては、後ろを振り返ることに、意味があり、答えはあったのだ。
仕事で、お金につながれば生活としては良いのかもしれないが、残念ながら現状は甘くはない。
かといって、今、趣味で撮るというわけではない。
一つのテーマを持ち地道に歩いていき、それがいつか花が咲く事を祈る。
あの時通った道は、今もあの道だろうか。
モノクロームの記憶を思い出しながら
今日も明日も、シャッターを押す。