正解とか不正解に拘る必要があるのか?
こんにちは!ガクです。
ようやく秋になってきたなと思えるくらい気温も下がってきて過ごしやすくなってきましたね。
秋は気候もいいので、今年もアクティブに過ごしたいなと思っています!!
この社会で生きている中であまりにも正解と不正解に分けられる事象が多いなと思います。
特に仕事では正解以外の結果はミスに繋がりその後のクレームに発展しますよね。
自分が試したいことを試すことを実践の機会でチャレンジできない。こんな世の中です。
だからこそ社会は厳しいと言われる所以なのでしょうが、失敗しなければチャレンジも難しくなってしまう。それが本音としてあります。
よく上司にも、どのやり方、方法でもいい。正解になった方法が正解だ。
と言われます。
最終的な責任も持つ上司からしてもミスをされてケツを拭くのはできるだけ避けたいところ。
上手くやってくれたらそれでいいといったところでしょうか。
自身の行動が全て外すことなく正解することができればなんの問題もありません。この記事を書くこと自体が無駄でしょう。
でも人間は大なり小なりミス(不正解)は必ず起こります。
今大流行している地面師たちの部長でさえ100億以上の損失を出し、自分の人生がひっくり返るほどのミスを犯すこともあります。
部長クラスのいわゆる優秀な方でさえもです。
そんな社会の中で正解を追い求め続けることは重要であると思います。
ですが、正解することだけに拘り自身が成長ができなければ意味はありません。いつか自分は何をしていたんだろうと思う日が必ず来ます。
正解。これは人それぞれ違うものであると思いますが分かりやすい例を挙げるとすると、、、
会社の中の出世競争の為に結果だけを追い求めること
ですね。
結果がついてくれば自ずと成長するという意見も出てきそうですが、
結果を得るにはできるだけ少ない、いやミスが0であることがマストです。
そうでなければ競争に負けてしまうからです。
一つのミス、一つのプレーが命取りとなります。
この状況に陥ってしまうと成功するやり方だけをやってしまうこととなり、
頭の柔軟さがなくなってしまう。そう考えています。
頭の柔軟さがなくなると余裕がなくなることに繋がります。
余裕がなくなると視野が狭くなり、周囲の人間に当たるようになったり色々な弊害が出てきます。
これはその方法で結果を出せている間はいいのですが、結果が出なくなった途端に何もできない未来が目の前を覆います。
要するに言いたいことは、正解を追い求めることは確かに重要です。
ですが、これだけに目が眩んでしまうと大事なことに目を向けられなくなり
いつの間にか大切なことを思い出せなくなってしまうことに繋がりかねないということです。
少し大袈裟に書きましたが、実際に私がそうなりかけていました。
ミスをすることも時には重要です。そこから学べる何かがきっとあります。
社会は厳しいですが、ミスをすればそのミスを他の何かで取り返せばいい。
私はそう思っています。