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ボクたちはみんな、ボンジョヴィの胸毛で大人になれた。

その日、下北沢のど真ん中で私は、30年弱の時をさかのぼろうとした。
比喩的に、ではなく、本当に。30年弱前の自分の前にシュタッ! と現れて、思いっきりハグしてやりたかった。

もちろん、そんなことは、この世に「電話レンジ(仮)」があってもムリだ。あの装置の仕組みでは、過去の自分自身に会うことはできない。それ以前に、過去の自分と鉢合わせするととてもマズいことになると、クリストファー・ロイドも言っていた。正確には、クリストファー・ロイド扮するマッドサイエンティストが。「デロリアン」と聞けば誰もが「タイムマシン!」と答えるのと同じくらいに、そんなことは今や世界の常識だ。

それでも、6月だというのに気温35度超えの下北沢のど真ん中で、ものすごい勢いで溶けてゆくソフトクリームをせかせか口に運びながら、私はそんなことを思った。それぐらい、なんというか、胸がいっぱいだったのだ。 


その日の私は、いつもと変わらない一日を送るはずだった。
目が覚めて、枕元のスマホに手を伸ばす。
そのまま布団の中で「LINEポコポコ」をクローバーがなくなるまでプレイし、続いて「ドラゴンクエストけしケシ」をハートがなくなるまでプレイしたのち、モソモソ起きて、歯を磨き顔を洗い、掃除機をかけ、ノソノソ机に向かい、みずから課した本日のノルマワード数をやっつけにかかる……そんな、フリーランス翻訳者のステキなモーニングルーティンをこなすはずだった。

手に取ったスマホのロック画面を、目ヤニのくっついた目でぼんやり見ると、2時間前に届いたFacebookのメッセージの通知が表示されていた。
 
「フクイチ! 一時帰国した! ……ダメもとで聞くけど、今日時間あったら、お茶かご飯しない?」
 
それは、高校を卒業して以来一度も会っていなかった、ボン・ジョヴィ子(仮名)からのメッセージだった。アメリカ人の旦那様と、もう長いことアメリカに住んでいる彼女が、今、日本に帰ってきているという。
 
私は跳ね起きた。幸い今日は緊急対応の割り込みタスクもない。この数か月かかりきりの長期案件も、先週『Elden Ring』をやらずにまじめに働きつづけたおかげで、締め切りに間に合うペースで順調にこなせている。
私はすぐさま「OK!」の返事を送り、いそいそと出かける支度にとりかかった。
 
さて、ここで少し、中学生のころのフクイチについておさらいしておきたい。
世間的にはいわゆる「お嬢様学校」と目されている私立の女子校に通っていた私は、この記事この記事でも触れているとおり、いろいろと言動がアレで、学校でかなり浮いていた。クラスメイトはみなよい子ばかりで、いじめられるようなことこそなかったものの、まわりから「だいぶヘンなヤツ」と認識されていた自覚はある。
 
具体的にどう「アレ」だったかというと、たとえば中一のある日、突然髪を脱色して登校し、教員会議にかけられそうになった。中二のある日には、突然尾崎豊にインスパイアされ、教室のうしろの黒板いっぱいに彼の曲の歌詞を書いたこともある。
……
……………
うわあぁーー忘れてたのにいろいろ思い出した、とても恥ずかしい。布団をかぶって足をバタバタしたら、なかったことになるだろうか。きっと、右目や右腕などに取り憑いていた何かが暴れ、私にあのような常軌を逸した行動を取らせていたに違いない。不可抗力だ。

そんな、漆黒の翼が生える病に罹患していた私を、まっとうな人間としてあつかい、心を通わせてくれたのが、ボン・ジョヴィ子(仮名)だった。
当時の彼女はジョン・ボンジョヴィの大ファンで、彼にガチ恋していることが傍目にもよくわかった。脳内で「洋楽ハードロック・ヘビーメタル祭り」が開催されていた中三当時の私とは、魂レベルで通じるものが多かったのだ。

彼女とはよく、昼休みにジョン・ボンジョヴィの胸毛の話をした。「毎朝ムースをつけてブローしている」、「夜はカーラーを巻いて寝る」。次々と勝手にでっちあげられる、ジョン・ボンジョヴィの胸毛ケア。びっくりするほど覚えていることが少ない私の中学時代において、ボン・ジョヴィ子(仮名)とボンジョヴィの胸毛の話で酸欠寸前まで笑い転げた昼休みのことは、数少ない美しい思い出だ。


そんなボン・ジョヴィ子(仮名)も、いまや三児の母となり、アメリカですてきな家庭を築いている。久しぶりの一時帰国中、急きょ日本のご家族がお子さんたちを預かってくれることになり、突然できた貴重な完全フリーの時間を、フクイチに会うために使ってくれたのだった。
 
中学生のころによく遊んだ下北沢で、中学生のころの親友と、まるで中学生のように並んでソフトクリームを食べているうちに、私のエモメーターはすっかり振り切れてしまった。
あちこちはみだしまくっていたあのころの自分と、仲よくしてくれたことがとてもうれしかったと、私は彼女に伝えた。
言ってしまってから、ちょっと恥ずかしくなった。

でも、ボン・ジョヴィ子(仮名)は、ヘンに茶化したりしなかった。
「フクイチとボンジョヴィの胸毛の話して盛り上がってたあのころが、今の私を作ってくれたんだよ。あれがあったから、アメリカっていう国にあこがれて、今アメリカに住んでる。あれがなかったら、今の私はなかった」
 

自分のライフステージで、「中学生の私」は自己評価ランク最下位だ。わが人生の恥として、心の奥の座敷牢にひたすら押し隠してきたようなところがある。
ボン・ジョヴィ子(仮名)のその言葉を聞いたとき私は、その中学生の自分の前にシュタッ! と現れ、思いっきりハグしてやりたいと思った。もしも今、中三の自分に会えるなら、私は彼女にこう言いたい。
 「あんたはその感じのままで、ひた走ればいいよ。少なくとも私はもう、あんたを恥ずかしいヤツだとは思わない」。

ボン・ジョヴィ子(仮名)の言葉が、私の心の座敷牢のカギを開けてくれたのだ。

 
90年代初頭。アメリカにグランジの波が押し寄せる直前。長髪と、腰や頭にナゾのヒラヒラの布をなびかせたメタル/ハードロック系バンドマンたちが、最後のひと輝きを放っていたころ。東京のとある女子中学校に、洋楽ハードロック(をプレイするイケメン)が大好きな女子が2人いた。

どちらも、それがきっかけでアメリカという国にあこがれ、どちらも将来、アメリカという国に渡る。
1人は、「今でもやっぱりアメリカが好きだ」と言い、もう1人は、「結局私は、日本が好きだ」と言う。
1人はアメリカで幸せな家庭を築き、もう1人は日本でひとり身のまま、それはそれで愉快な日々を送っている。

そして2人とも、ボンジョヴィの胸毛で永久に笑えたあの昼休みが、今の自分を作ったことを知っている。



「ボンジョヴィの抜けた胸毛を、オークションで買った人がいるらしい」。
当時、永久に笑えたエピソードのひとつに、そんな話があった。
いつか1本手に入ったら、神棚に供えようと思う。



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