つまるところ今のコンピューターに真似できない人間の機能(はたらき)を動詞にしてみた
AIブームは賞味期限を向かえつつあるように思う。研究者の意図に反して書籍のタイトルはいつも過激なので、その言説にはいつも一喜一憂させられる。マスコミはアジテーションの機能を持っているのだから仕方がない。本題に入ると、コンピューターには命令、つまり制約が必要だ。こいつは目的を持ってこの世に存在している訳ではない。意図、命令、制約、規則、目的、どれも神の領域に近い形而上の概念。コンピューターはなんらかの「操作」を待っている。最適解を求めるにも命題がなければ始まらない。能動的・自発的なコンピューターの誕生。僕にはイメージできない。ホイジンガーやカイヨワの文脈で言えば、コンピューターが遊ぶことは決してないのだ。また別の補助線。人間の感情を読み解くことはできるのだろうか。例えば、「慮る」という動詞。真似して欲しいものだ。
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